河合副教学部長
「平成10年6月2日 寝屋川文化会館にて」
100万遍あげても不信なら功徳はゼロ。頑張っても信心のことで愚痴と文句を言うと功徳はゼロになる。
「愚痴と文句は功徳を消すよ!」というのは先生の指導、なぜかと言うと、祈れば解決する。祈らないで愚痴を言っている・文句を言っているのは御本尊不信だから。
「私ばっかり苦労して」と言うが、言い分は正しくても何も解決しない。
これを『正しい愚痴』と言う。正しい文句かもしれないが、だめ。解決しない。信心は良いか悪いかではない。
良くなるかどうか。仏法は勝負。良くなるように祈ればいい。そうすれぱ解決する。
いくら「私が正しい!」「相手が間違っている!」と言っても、愚痴と文句だから開けない。
功徳を受けたい人は愚痴と文句をやめること。同志に怨嫉をすると功徳はマイナスになる。
罰になる。怨嫉は謗法だから困ったことに、相手が間違っていても同志だと怨嫉になる。
「私が正しい!」「相手が間違っている!」と言っていることが結構ある。
これを『正しい怨嫉』と言う。
正しくても怨嫉した方が罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。そう御書に書いてある。
「それが本当でも嘘でも」と書いてある。怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。人が裁くのではない。法が裁く。
相手の成長を祈ってあげること。そうすれば自分も相手も良くなる。
「幹部のくせに」と言わないこと。変な幹部もいるが、成長を祈ってあげること。
「幹部のくせに」と言ったら怨嫉になる。
正しくても怨嫉になってしまう。成長を祈ってあげれば相手は変わらなくても自分は良くなる。
相手がやるからこちらも怨嫉をやり返すことを『差し違え』と言う。
これもよくあるが、両方とも功徳が消えてしまう。
人のために功徳を消してはつまらない。人のことは、ほっとくか祈るか、どっちらかしかない。
感情をぶつければ怨嫉になる。
御本尊に祈ってあげれば自分も相手も変わる。結構多いのが家庭内怨嫉。主人を恨み、姑を恨んで頑張っている。
主人を恨んでも変わる気がないのだから無駄。そんな主人を選んだのだから自業自得。
よく戸田先生が「3歳と5歳の兄弟だから喧嘩になる。境涯が近いからだよ。
片方が10歳だったら喧嘩にならないだろ。夫婦でも同じだよ。自分が境涯を上げて、相手を引っ張り上げてやればいいのだ。」と言われていた。相手の成長を祈ればいい。
主人の成長を祈れば自分が成長する。
相手も成長する。感情をぶつけるから怨嫉になる。主人は悩んでいないから。こっちが祈るしかない。
姑さんも悩んでいない。
変わる気もない。成長を祈ってあげること。嫁は未熟に決まっているのだから、姑は成長を祈ってあげればいい。
「これだけは別」と言う気持ちでやっている。もともと姑と嫁は天敵。その前に同志なんだから祈ってあげればいい。 そうすればスッキリするのに。怨嫉をやめて相手のことを祈れば自分が良くなる。これがコツです。
おはよう御座います 此のご指導は、自身あてはまる、お言葉です!罪処消滅を願って参ります。今は都議選の大勝利を願って胸中を占めています。異体同心の戦いを進めて参ります!