しかし、苦しみは苦しみの人生のまま、悲しみは悲しみの人生のまま、題目を唱え抜き、妙法に照らされていけば、福徳に満ちた自由自在の境涯を開いていける。 | 創価学会が大好き

しかし、苦しみは苦しみの人生のまま、悲しみは悲しみの人生のまま、題目を唱え抜き、妙法に照らされていけば、福徳に満ちた自由自在の境涯を開いていける。

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つまり、我々九界の生命にある迷いの生命を離れて仏界の生命もない。悩み、苦しみの九界の生命を離れて、どこか他に幸福に満ちた仏界の生命があるわけではない。迷いの凡夫の生命がそのまま妙法の当体なので、その活動は自在となるのである。
すなわち、迷いの苦悩の生命は、御本尊の妙光に照らされて、苦悩に束縛されない自在の生命へと輝いていくのである。

現実の人生は、悩みと苦しみの多いものかもしれない。
しかし、苦しみは苦しみの人生のまま、悲しみは悲しみの人生のまま、題目を唱え抜き、妙法に照らされていけば、福徳に満ちた自由自在の境涯を開いていける。
仏の生命の軌道へと入っていけるのである。
完全無欠の人間だけが幸福になれるというのではない。また、悩みも迷いもない完全な人間がいるわけでもない。
悩みは悩みのままに、苦しみは苦しみのままに、自在の幸福の境涯を築いていけるのが、大聖人の仏法であり、私どもの信心である。