いっさいの不幸の宿命や罪業を、根本次元から転換しゆくのが「本因妙」のこの仏法。

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いっさいの不幸の宿命や罪業を、根本次元から転換しゆくのが「本因妙」のこの仏法。
ただし、信心の厚薄によるということが、大前提となる。
その宿命転換しゆく法の力は、億万ボルトの電流が、生命の「一心」に伝わるようなもの。
われわれの努力とか向上への力は、せいぜい千ボルトか二千ボルトぐらいの働きしかない。
同じ医学の講義でも、超一流の力をもつ教授の講義を受けた場合と、仲間うちの場合とでは、やはり、ボルテージが全然違うんです。
「本因妙」の仏法の力は、清らかな大河の流れのようなものである。幸福という「一念」の大海に、間違いなくはいってゆくことができる。
たしかに、われわれにはそれぞれ、大小さまざまな宿命があるかもしれない。また、罪障もあるかもしれない。しかし、どれだけあるか計算することはできない。
だが、この「本因妙」の仏法という大河の流れに、ひとたび「一念」がはいった場合は、ありとあらゆるものを浄化させながら、滔々たる奔流となる。
人間の身体も、絶えずものすごいスピードで変化していきます。私の専門の「胃」でも、毎日毎日、細胞はすさまじい分裂をし、傷を修理し、悪いものを流していきます。驚くことに、胃の粘膜の表面は三日間で全部変わるんです。
つまり、よき根本的原因をつくるための信仰であり、仏法なのです。
朝な夕な「本因妙」の仏法によって宿命転換への、つまり原因をつくることができる。その繰り返しの人生のなかに、「一生成仏」の意義がある。
本を読むと、神経細胞を神経細胞をつなぐ「シナプス」とは、発動機のピストンのように並んでいて、それが刺激によってお互いが震動し、つぎつぎに回路が発生し、また変化し、あらゆる伝達の役目をすばやく正確に行うもので、無限に広がりゆく。
神経回路を広げていくには、シナプスを発達させていくことが必要です。それが機能どおりスムーズに働けば、「頭がいい」ということになる。
だから、われわれもしょっちゅう本をよまなくてはダメだ。
頭を使うことはもちろん必要である。また、どんどん歩いたり、指先を使う運動も、やったほうがいいことになる。
頭がいいというのは、神経回路が活発かつスムーズに進むこと。