〈虹を懸ける〉

〈虹を懸ける〉 池田先生と北欧④=完 2018年8月30日 師弟の絆は心に燦然と

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師弟の絆は心に燦然と
はじける笑顔また笑顔――「第1回SGI北欧総会」に出席した池田先生が、参加者と宝の思い出を刻む。一人を大切にする師の振る舞いを、北欧の友は永遠の原点として語り継ぐ(1989年6月4日、スウェーデンのストックホルムで)

 スウェーデンの首都ストックホルムに、北欧5カ国の同志が集った「第1回SGI北欧総会」(1989年6月4日)。
参加者の喜びは幾重にも広がり、民族衣装を着ての踊りや民謡などが、生き生きと披露されていった。
熱演の一つ一つに、池田先生は立ち上がって拍手を送り、時に一緒にリズムを刻みながら、メンバーと心の交流を結んだ。
祝福のスピーチを、先生はこう始めた。
「きょうは、小雨にライラックの花が美しい……」
先生の話に、イングリッド・ワールボーンさん(スウェーデン、地区婦人部長)は驚いた。
副女子部長として、諸行事の準備に奔走していたワールボーンさん。だが待ちに待った総会の日は、あいにくの雨。彼女たちは内心、落胆していた。
「先生は、そんな私たちの心を知り、励ましを送ってくださったのだと感じました」
続けて先生が語ったのは、「一本の樹」の大切さであった。
「この(ライラックの)花は、まず一つの花樹を完全に大きくして、根を張り、花を咲かせ、種をつくる。その『一樹』があれば、あとは時を得、環境を得て、いくらでも大きく広がっていく」
「仏法の広がりも、“勝利の一人”から始まる。仏種が熟して、立派な人格者となり、社会に、また生活に深く根を張りながら、美しい信仰勝利の万花を咲かせていく。
その『一本の信心の大木』さえあれば、そこから妙法の種は広がり、幸福の花は限りなく広がり咲いていく。人数ではない。真実の『一人』の存在が大事である」
この先生の指針が、ワールボーンさんの大きな力になったのは、総会の翌90年。世界有数の通信機器・サービス会社で、ソフトウエア開発の仕事に携わることになったのだ。
IT関係の教育を受けていない彼女の採用は、当時は異例のことだった。多くの人は、無謀だと言った。
それでもワールボーンさんは、使命の場所で“勝利の一人”になるとの誓いを胸に、誠実に業務に励んだ。
学会活動で自身を磨き、協調性を身に付けたことが仕事にも生きた。信頼を広げ、マネジャーを9年間務めるまでに。現在は、人事の業務を担当する。
学会の組織では女子部長などを歴任。多忙の合間を縫って友の激励に走った青年部時代が、人生の宝である。

信心の大樹に

 先生はスピーチで、総会に集った全員が、それぞれの地で「不動の信心の大樹」となりゆくよう望んだ。
デンマークから総会に参加していたハンネ・ホルムさん(婦人部本部長)は10代の頃、人生の目的を見いだせずにいた。さまざまな宗教を試したが、心は満たされず、どれも長続きしなかった。
友人の紹介でSGIを知った。会合に行くと、自分だけでなく、他者の幸福のために行動する多くの人に出会った。「この人たちと一緒に活動すれば、私も変われるのではと思い、入会しました」
そんな信頼する同志が、口々に語る「センセイ」。“私も、師との原点を築きたい”。89年6月、女子部・白蓮グループの一員として、スウェーデンへ。
総会だけでなく、宿舎で先生を迎えた時にも忘れ得ぬ出会いが。「ようこそ!」と元気にあいさつする彼女に、先生は深い感謝を述べながら、慈愛のまなざしを注いだ。
89年の先生との出会いを、彼女は「暗かった心に、明かりがともされたようでした」と振り返る。
後年、ホルムさんはヨーロッパや日本など、さまざまな国に住んだ。
新たな場所に行くたびに、その地で学会活動に励んだ。「不動の信心の大樹に」との心意気で――。
「デンマークはヨーロッパ広布の『原点』の地です。その誇りを胸に、私たちが創価の人間主義を大きく広げていきます」
同じくデンマークから総会に集ったジョン・ハンセンさん(副本部長)。総会で、先生が会場内のステージに立ち、手品を披露した光景を鮮明に覚えている。
「大きな会場ではなかったため、どの位置からも、先生の様子がよく見えました。先生は参加者とやりとりしながら、一人一人と交流するかのように手品をされました」
ハンセンさんは幼い頃、母からよく先生の話を聞いて育った。「世界的な指導者である先生が、メンバーに寄り添い、心を砕く姿に深く感銘を受けました。この時、私は先生を人生の師匠と決めました」
心に師匠をもった人は強い。ハンセンさんは20代半ばで歯科医を志し、大学で学び直した。そして卒業直後の2004年には、歯科医院を開業した。
何度も経営難に直面したが、諸天を揺り動かす強い題目で、苦境を開いてきた。現在、コペンハーゲン近郊に二つの医院を持ち、数千人の利用者がいる。
09年3月、デンマーク・南大学から先生に「名誉博士号」が贈られた。東京・八王子市の創価大学で行われた授与式に、ハンセンさんはデンマークSGIの代表として参加し、先生の数列後ろに座りながら、師への栄誉に目頭が熱くなった。
式典中、ぐるっと周囲を見渡した先生。ハンセンさんと目が合った。先生はにっこりと笑みを浮かべ、うなずいた。
そのまなざしは、“頑張るんだよ!”と言わんばかりに温かかった。

愛称を贈ろう

 ヘンリエッテ・ホルムさん(デンマーク、婦人部副本部長)が信心を始めたのは、20歳の時だった。自分を卑下する心や、他人を信じられない心……さまざまな苦しみに縛られていた。
未来に対しても、不安が募る。映像作家を夢見ていたが、“私には無理”と思うばかりで、一歩も踏み出せずにいた。
転機となったのは、1989年6月、北欧総会での先生との出会い。ホルムさんは白蓮グループとして、行事の運営を支えた。
総会の途中、デンマークSGIのリーダーに連れられ、先生のいるテーブルへと向かった。先生は彼女と固く握手を交わし、陰の労苦をねぎらった。
その場を立ち去ろうとするホルムさんに、先生はさらに声を掛けた。「あなたに愛称を贈りたいのですが、よろしいですか」
突然の提案に戸惑いながらも、「はい!」と彼女が答えると、先生は「『信心のプリンセス』はどうだろうか」と。
そしてこう続けた。
「どうか、妙法の歴史をつづり、妙法の大きな勝利を開きゆく人生を送ってください。皆さんの努力に、心から感謝します」
感動で、胸がいっぱいになったホルムさん。「ありがとうございます!」と震える声を振り絞った。
この折のスウェーデン訪問で、先生は国王や首相など国家要人と会見している。その先生が、入会間もない一人の青年をこれほど励ましてくれた……。
「広宣流布のために生涯、戦おうと誓った原点です。先生に頂いた“新しい名前”とともに、“新しい人生”が始まりました」
この直後、ホルムさんは、最難関である演劇学校の監督科への挑戦を決めた。“先生が自分を信じてくれている”。そう思えば、勇気が湧いた。そして応募者の中でただ1人、入学を勝ち取る。
卒業後は20年以上にわたり、舞台監督として活躍してきたホルムさん。広宣流布を祈りの中心に置く時、大きく人生が開ける――そのことを、身をもって感じている。

人間の光彩

 真実の「一人」がいれば、そこから幸福の花園は広がる――。
先生はスピーチで、「これが、今日までの広宣流布の不動の方程式であった」と語り、「北欧の地も絶対に例外ではない」と力強く訴えた。
それは北欧の各地で一人立ち、広布の草創を開いた同志への、心からの励ましだった。そして、これから先、その道に続く人たちへのエールであった。
先生が訪問したデンマーク、ノルウェー、スウェーデン。そしてアイスランド、フィンランド。どの国でも、一人の勇者によってともされた仏法の灯は、全土を照らす人間主義の光となった。
師の励ましを受けた少年少女や青年部が、今、各国の広布のリーダーに育った。信仰で人生を開き、平和貢献や学問の道、文化・芸術の舞台で活躍する同志が多くいる。
かつて先生は、北欧訪問からの帰路、飛行機の窓から夜空に光るオーロラを眺めた。
後年、先生はこうつづっている。
「宇宙は、こんなにも輝きに満ちている。小宇宙である人間もまた、本来、まばゆい光に満ちているはずである。その人間の光彩をめざして、人間のなかへ、生命のなかへ、私は励ましの旅を、断固として続けよう」
半世紀を超える先生の励ましの旅。その中で育まれた“心の絆”は、北欧の同志の心の宇宙に燦然と輝く。
この師弟の絆を“導きの星”として、友はこれからも、勝利の人生を朗らかに進む。
(③は8月27日付に掲載)