〈虹を懸ける〉

〈虹を懸ける〉 池田先生とカナダ① 2018年7月1日 君立ちて 広布の夜明け

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 池田先生とSGIメンバーの出会いをつづる「虹を懸ける」。今回は、先生が3度にわたって訪問し、幾多の共戦譜を刻んだカナダの広布史を紹介する。

 “カナダ独立のヒロイン”として、語り継がれる婦人がいる。
 19世紀の初頭、英軍(カナダ軍)と米軍が対峙する中、彼女は偶然、米軍が奇襲を掛ける計画を耳にした。
 夫は戦いで負傷しており、彼女は計画を伝えるため、たった一人で英軍基地を目指す。
 30キロ以上に及ぶ敵地の森を踏破した彼女。英軍は、その情報をもとに勝利を収めることができた。
 彼女の名はローラ・セコード。本年が没後150年となる。
 カナダを訪問した折にセコードの家を訪れた池田先生は、“婦人の力が歴史を創るんだね。必死の一人は万人に勝る”と語った。
 日本の約27倍となる広大な国土を持つカナダ。その広布の幕を開いたのもまた、一人の婦人であった。

また行くからね

 初の海外指導となった1960年10月、シカゴを発った池田先生はカナダ・トロントの空港に降り立った。
 まだメンバーが一人もいない同地で、先生を迎えたのはアキコ・イズミさん(カナダSGI最高参与)。
 日本にいる学会員の母から「池田先生は世界の大指導者になられる方です。必ず出迎えに行くように」と連絡を受け、親孝行のつもりでやって来た。
 イズミさんは、結婚してカナダに来たばかり。身重でもあった。信心には否定的で、内心、“折伏されたらどうしよう……”との思いもあったという。
 先生はイズミさんの生活や母親のことを気に掛けつつ、近況を尋ねた。「何かあったらお題目を唱えることです」と言われ、思わずうなずいた。母がなぜ先生を慕うのか、その理由が納得できた。
 イズミさんは2年後に自ら入会。アメリカの組織に所属し、長距離バスや飛行機で片道十数時間をかけてニューヨーク等へ。会合には、常にパスポートを持参した。
 長女のヘレン・チョイさん(同婦人部長)は、片言の英語、そして覚えたての仏法用語で友人と対話する母の背中が忘れられない。
 「母には“池田先生に折伏された喜び”がみなぎっていました。歓喜あふれる姿に触れ、私もいつの間にか勤行に挑戦していたのです」
 一人また一人と同志が増え、広布のリーダーへと成長を遂げた。
 80年にはイズミさんの夫のヒューさんが入会。その後、ヒューさんは、カナダSGIの理事長を務めている。
 翌81年6月、21年ぶりとなる先生のカナダ訪問が実現した。
 初訪問時、誰も同志がいなかったトロントの空港には、300人のメンバーが。鼓笛隊のリーダーだったチョイさんは、先生に花束を手渡している。
 チョイさんは進路を思い悩んでいたが、カナダ滞在中の先生から温かく励まされ、創価大学への留学を決意。日本語別科を経て創大で鍛えの青春を送り、女子留学生が集う「レインボーグループ」の発足にも尽力した。
 89年末、先生に帰国を報告すると、“またカナダに行くからね。カナダのみんなのために動きたいんだ――”と。
 「その言葉だけで胸がいっぱいになりました」と振り返るチョイさん。SGI公認通訳として活躍し、カナダ帰国後は、女子部長、婦人部長として、友に励ましを送る。

雄大な自然をも

 首都オタワでは、外交官や学者、弁護士をはじめ、政府や学術機関で要職にある友も多い。その一人一人が、社会的な立場や肩書に関係なく、一人の庶民として、同志への励ましに駆けてきた。
 オタワ支部長として広布の発展をリードしてきたドワイト・ルディスエラさん(副壮年部長)。世界各地で先生との原点を刻み、来日は11回を数える。
 ルディスエラさんは音楽教師。大学を卒業後、ヒッチハイクでアメリカ大陸の横断旅行へ。サンフランシスコで知人に誘われ、22歳で信心を始めた。
 アルコール依存症の父を嫌悪していたルディスエラさん。唱題を重ねる中で、父は自ら断酒し、親友のような関係になれた。「こんなにすぐに結果が出るのかと驚きました」
 80年8月に親善交流で来日した折、「森ケ崎海岸」をバイオリンで披露すると、池田先生は「すごいね! 上手だね! ぜひピアノで『森ケ崎海岸』の弾き方を教えてくれないかい?」と。
 「どうお答えしたらいいのか、とまどいました。私はピアノが弾けないのです(笑い)。でも先生の激励は温かかった。カナダの自然は雄大ですが、先生には、その自然をも包み込むほどの包容力を感じます」
 先生がカナダを移動する際、メンバーであるなしにかかわらず、出会った人に気さくに声を掛け、友情を結んでいた姿を深く心に刻んだ。
 先月、入会50周年の佳節を迎えたルディスエラさん。今も率先して対話に歩き、広布拡大の模範を示す。

滝のような勢い

 81年6月24日、トロント会館を訪問し、勤行会に出席した池田先生は、メンバーと一緒にナイアガラの滝を見学。そこからほど近い場所にある、セコードの家へ向かった。
 この時、イズミさんらと共に先生を案内したのが、オタワ在住のリンダ・マツモトさん(圏副婦人部長)。
 近況を伝えると、先生は“ナイアガラの滝のような勢いで題目をあげるんだよ。勢いがないと、人生も行き詰まってしまうからね”と教えてくれた。
 セコードが暮らしたのは木造の小さな家。ナイアガラへの観光客は多いが、彼女の家は、その喧噪を忘れさせるかのような閑静な住宅地にある。
 命懸けで祖国の危機を救ったセコードだったが、功績が注目されても、一庶民としての生活を変えることはなかった。
 家のそばにある木陰で、先生は、滞在中に陰で尽力した役員をねぎらい、懇談のひとときを持っている。
 マツモトさんは述懐する。
 「とても小さな家なのに、先生が強い関心を示されていたのが印象的でした。“一途な行動が歴史を開いたんだね。大切な場所を教えてくれて、ありがとう”と、感謝を述べておられました」
 同僚の勧めで入会したマツモトさん。小説『人間革命』を読み、先生が自分に欠かせない存在であると直感。学会活動に励んだ。
 メイプル・リーフ・グループ(カナダの白蓮グループ)の初代委員長、カナダの初代女子部長を務める一方、グラフィックデザイナーやアニメーターの経験を生かし、カナダSGIの機関誌制作にも貢献した。
 今、マツモトさんは核兵器廃絶を掲げるカナダ・パグウォッシュグループで活動を続ける。夫・コウチさんの遺志を継いだものだ。
 コウチさんは、広島で2歳の時に被爆。母はコウチさんを助けようとして亡くなった。
 オタワに留学し、研究生活を送っていたコウチさんは、応用化学の分野で多くの実績を残す。カナダ広布の草創を築き、更賜寿命の実証を示して霊山へ旅立った。
 夫妻で夢見た核なき明日へ、マツモトさんは草の根の意識啓発を続ける。
 ◇ 
 「ゼロにいくら数字をかけてもゼロだが、一は無限に発展する」
 カナダ広布20周年を記念する総会(81年6月22日)で、池田先生は、1人から始まった広布の歩みが1000人を超える連帯に発展したことをたたえた。
 イズミさんに詠み贈った和歌に、こうある。
  
 忘れまじ
  カナダの天地に
   君立ちて
  広布の夜明けは
    ついに来りぬ
  
 環境や境遇ではない。誓いの一歩一歩に、必ず同志は続く。
 先生との心の交流から立ち上がった一婦人の軌跡が、それを明快に物語っていた。