1981年5月、ソ連訪問から始まった池田先生の海外歴訪は、欧州、北米と61日間にわたって続き、北半球を1周している。
先生がカナダのトロント国際空港に到着したのは6月21日。同志が待ちに待ち、祈りに祈った瞬間だった。
この前年(80年)、20年ぶりとなるカナダ訪問が予定されていたが、シカゴで飛行機のエンジントラブルが発生。旅程の変更を余儀なくされ、訪問は見送りに。空港に集まっていた友は、その報に頰を濡らした。
先生は訪問先のロサンゼルスにカナダの代表を招き、会えなかったメンバーへの激励を託している。
カナダの友は異口同音に言う。「あの時の悔しさがあったからこそ、師を求める一念がより強く、確かなものになりました」と。
訪問2日目の6月22日、トロント市にあるホテルの大ホールで、カナダ広布20周年記念総会が幕を開けた。
1960年に先生が初訪問した折、カナダの地に同志は一人もいなかった。それから21年。奇跡的ともいえる発展を遂げ、この日は約1000人が喜び集ったのである。
総会ではダンスやコーラス、バレエ等が披露され、あいさつに立った先生が、広布の前途を祝福した。
この時、役員として先生に随行したトム・ハミルトンさん(副圏長)は、総会の直後、先生が真っ先に出演者の待機場所へ向かったことを覚えている。
「通訳はいませんでした。先生は身ぶり手ぶりを交え、出演者一人一人に感謝を伝えておられました」
先生はハミルトンさんにも“不退転の信心で、必ず人生に勝ってください”と指針を。
信心を始めて10年余り。師の間断なき激励行を目の当たりにし、ハミルトンさんはSGIと巡り合った身の福運を噛み締めた。
カナダの東端、ニューファンドランド島出身のハミルトンさん。父が病に倒れると、将来を悲観し、流浪の旅へ。トロントでヒッピー生活を始めた。
口では平和を叫ぶものの、何ができるわけでもない。父の死去を聞いたが、無気力な生活は変わらなかった。
そんな時、SGIの集いに誘われる。ハミルトンさんには座禅の修行経験があったが、それとは全く違う世界が広がっていた。
題目の力を生き生きと語る参加者。その中には“元ヒッピー”の姿もあった。
「君自身の変革なしに、社会を変革することはできないんだよ」
その指摘に心から納得できた。とともに、心身に気力があふれていることに驚いた。
長年、味わっていなかった充実感に信心の力を感じ、入会を決意。患った肝炎を克服し、写真関係の会社に職を得た。
その後、写真館を開業し、今は娘たちに経営を委ねる。
来年、入会から50年の節を刻むハミルトンさん。師を持つ人生の素晴らしさを語り歩く日々だ。
広布20周年の記念総会には、遠方から参加した友も多かった。
池田先生は、その求道心をたたえ、信心の意義を語っている。
“人生には、さまざまな目的があります。しかし、それらの多くは、「相対的幸福」を満足させるための目的に過ぎません。人生の最大の目的は「絶対的幸福」を開くことであり、一切が自分のための仏道修行です”
西部の大都市エドモントンでバレエスクールを主宰しているポーラ・リーシュさん(圏婦人部長)。同地に移り住んだのは、記念総会の前年だった。
“広布の一粒種”として弘教に歩き、バレエ仲間と座談会を開いた。翌年、同志の輪は15人に広がり、共に先生のもとへ駆け付けている。
当時、リーシュさんは夫の暴力に悩んでいた。さらに副腎に腫瘍が見つかり、医師に命の危険を告げられた。
苦しみの淵にあったが、学会活動は一歩も引かなかった。
「御書の一節を50回以上、音読した日もありました。そうでもしないと、弱い心に負けてしまいそうで」とリーシュさん。
85年にはバレエ団を創設。再婚した夫が団のマネジャーを務め、国内外で公演を重ねている。
「日蓮大聖人は、酷寒の地で敵に狙われながら、人類の幸福を願われ、激励の文をつづられています。その御境涯を思うたび、感謝と勇気が湧きました」
内陸に位置するエドモントンは、冬季には氷点下40度まで冷え込むなど世界有数の寒さで知られる。カナダ最北の地区も同地の組織に所属し、リーシュさんは、そうした友の激励に駆けてきた。
2014年には待望のエドモントン会館が完成。心を躍らせ、広布の春を進む。
クリス・エディさん(圏副婦人部長)は、81年の記念総会に鼓笛隊として参加。西部のカルガリーからは、ただ一人の参加だった。
広大なカナダでは、全員で集まって練習することは難しい。総会に出演する鼓笛隊のメンバーが、そろって練習できたのは、開会前の1時間だけだった。
鼓笛隊の演奏が始まると、場内は総立ちに。皆が肩を組み、愛唱歌を歌い上げた。
総会後、池田先生が会う人会う人に声を掛ける姿に、「ここから師弟の絆が生まれ、世界中に広がっているんだと実感しました」。
夫が経営する運送会社が窮地に陥り、幼子を抱えて経済苦と戦ったエディさん。
「“学会活動をしているから大丈夫”ではなく、常に先生を求める姿勢でいることが大切だと、身をもって経験しました」と振り返る。
やがて会社の業績が好転。夫妻で宿命転換の実証をつかんだ。
「池田先生への感謝は言葉では言い表せません。どこまでも行動で示すしかないと思っています」――その決意を胸に、今日もカルガリー広布に尽くす。
トロント近郊のカレドン教育文化センターでは、各部の研修会が定期的に行われ、カナダ全土から友が集う。
そうした中で、カナダの同志には、遠く離れていても互いの成長を祈り、励まし合う絆が生まれている。
81年6月23日、後に教育文化センターが立つカレドンで、日本の親善交流団との文化交歓会が開催された。
冬はスキー場となる丘を会場に、ガーデンパーティー形式で昼食を取りながら歓談のひとときを。その後、ミニ文化祭が開かれた。
この前年に入会したケイト・ウェルズさん(カナダSGI副総合婦人部長)は、池田先生の姿が胸に迫った。
「先生自ら料理を取り分け、誰とでも気さくに会話を楽しまれていました。人間味あふれる姿に、この信心を選んで良かったと思いました」
モントリオールでバレエダンサーとして活躍していたウェルズさん。「先生との“最初の出会い”は、映画だったんです」
同僚から映画「人間革命」に誘われ、自分と同世代の山本伸一青年が生きる意味を求める姿、戸田先生の前で詠んだ「地涌」の詩に心を打たれた。
ウェルズさんは生後すぐに養子として引き取られた。ダンサーの夢をかなえてからも、そのことが心の奥でうずいていた。
「自分の人生においても、“師”の存在を求めていたんです」
先生は81年の総会で“20年間まじめに信心を貫けば、人生は必ず変わります”と。
ウェルズさんは述懐する。「私に直接言われているように感じました。上から物を言うのではなく、心に呼び掛けてくださった。この時、私は広布に生きようと決めました」
ハワイ大学等で舞踊人類学などを専攻。放送局に勤務し、多忙な合間を縫って友のもとへ通った。
2004年、カナダSGIの婦人部長に。「あなたの勝利が私の勝利」を合言葉に、全国の部員一人一人に励ましを重ねてきた。
念願だった実の家族との再会も果たし、今年4月のカレドン教育文化センターでの集いには、妹も参加。25年越しの対話が実り、皆の祝福に包まれて御本尊を受持することができた。
「広いカナダだからこそ、1回の出会いが大切です。その時に、どれだけ池田先生のことを伝えられるかだと思います」と話すウェルズさん。
その励ましの道に、後継の友が続く。