


御書には「強いて説き聞かせよ」とありますが、「強いて入信させよ」などとはどこにも書かれていません。

われわれが日々拝する大御本尊は、われわれ凡夫とは関係ない雲の上の存在であり尊上無比の存在であると拝し、われわれ下賤(げせん)の者のつたない日常生活現象とは、およそかけはなれた存在であると拝することは、誤りである。

やるやらないはむこうの自由です。なにも創価学会へ引っぱりこんでしまわなければ、折伏にならないなどと考えなくともよろしい。

獄以来一年有半に、「牧口は死んだよ」と、ただ一声を聞いたのであった。 独房に帰った私は、ただ涙に泣きぬれたのであった。

戸田先生が未来部の会合で語られたことがあります。「将来、誰もが幸せを噛みしめることができて、国境や民族の壁のない地球民族主義の平和な世界を築かねばならない。みんなは、きょうのこのおじさんの話を忘れないで、少しでも、この夢を実現してほしい」と。

昭和二十年、名誉の出獄の後、創価学会の再建運動にかかり、ついに今日にみるごとき大幹部、および青年同志の集いとなったのであるが、私はいまだ会長たる自覚に立たず、

私たちが広宣流布に向かって「異体同心」の姿で輝くことそれ自体が、人間共和の縮図であり、人類の共生の理想像なのです。

われわれが日々拝する大御本尊は、われわれ凡夫とは関係ない雲の上の存在であり尊上無比の存在であると拝し、われわれ下賤(げせん)の者のつたない日常生活現象とは、およそかけはなれた存在であると拝することは、誤りである。
