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戸田先生ご指導

昭和二十年、名誉の出獄の後、創価学会の再建運動にかかり、ついに今日にみるごとき大幹部、および青年同志の集いとなったのであるが、私はいまだ会長たる自覚に立たず、

昭和二十年、名誉の出獄の後、創価学会の再建運動にかかり、ついに今日にみるごとき大幹部、および青年同志の集いとなったのであるが、私はいまだ会長たる自覚に立たず、理事長のイスにしがみつき、会長がどこからかあらわれぬかと、頼めぬ頼みを唯一の空頼みとしていたのであった。
いくどとなく会長たるべく、和泉筆頭理事、柏原理事などよりすすめられたのであったが、私は固辞して受けなかったのは前述の理由であった。
なぜ、こんなに、私は会長たることをいやがったのであろうか。私自身、理解できない境地であった。いまにしてこれを考えると、もっともなことであるとも思われる。
創価学会の使命は、じつに重大であって、創価学会の誕生には深い深い意義があったのである。
ゆえに、絶対の確信のある者でなければ、その位置にはつけないので、私にその確信なく、なんとなく恐れをいだいたものにちがいない。
牧口会長のあの確信を想起背よ。絶対の確信に立たれていたではないか。あの太平洋戦争のころ、腰抜け坊主が国家に迎合しようとしているとき、一国の隆昌のためには、国家諫暁よりないとして、「日蓮正宗をつぶしても国家諫暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつがなくてはならぬ」と厳然たる命令をくだされたことを思い出すなら、先生の確信のほどがしのばれるのである。
いまの私の不肖にして、いまだ絶対の確信はなしといえども、大聖人が御出現のおすがたをつくづく拝してたてまつり、一大信心に立って、この愚鈍の身をただ御本尊に捧げ奉るという一法のみによって、会長の位置につかんと決意したのである。
この決意の根本は前に述べたごとく、深い大御本尊のご慈悲をうけたことによる以外に、なにもないのである。
この決意をもらすや、理事長矢島氏はじめ和泉、森田、馬場、柏原、原島、小泉、辻などの幹部、および青年部諸氏の会長推戴の運動となって、五月三日、私は会長に就任したのであった。