われわれが日々拝する大御本尊は、われわれ凡夫とは関係ない雲の上の存在であり尊上無比の存在であると拝し、われわれ下賤(げせん)の者のつたない日常生活現象とは、およそかけはなれた存在であると拝することは、誤りである。尊上無比の大御本尊は、じつに日蓮大聖人の御当体そのものであられるのである。
またこれとは反対に、
本尊とはまったく他所(よそ)に求むべきでなくて、
自分自身が本尊であり、お題目を唱えるものは、等しく自涌の菩薩であって、日蓮大聖人とも変わりがないと考えることは、重大な増上慢のきわみであり、大謗法である。