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したがって、仏法の話しをするときの私たちの生命がいかなる境涯にあるか、ということが、その際、たいへん大切な要素になってくる。

一生成仏とは、仏界がその人の生命活動・生活・人生の基調となり、仏界があたかも生命の自宅のようになって、他の九界に遊戯し、人生を楽しみ切っていくという状態をさすのである。

もったいない言い方であるが、御本尊は幸福製造機といえる。

しかし、何年信心しようと、凡夫の浅はかな眼で、「もう宿業で悩むことはない」などと、きめつけることはできない。

十年、二十年、学会のなかで信心を貫いていけば、やがて必ず、大樹となった福運が、はっきり目に見えるようになる。

勤行で経を読むのも、仏を賛嘆申し上げることであり、それはそのまま自分自身の仏界を最高に賛嘆し、強めていることになる。

南無妙法蓮華経は、生命蘇生の大良薬であり、ただ一度でも縁すれば、永遠に消えない幸福への因を得ることになる。

「信心で勝つ」という真の団結は、単なる「足し算」ではありません。何倍、何十倍という、想像を超えた勢いを生む「掛け算」となります。

そして、どんな人の生命からも、「宇宙を動かす大いなる生命力」を自由自在に引き出す機械を発明されたのが日蓮大聖人です。 それが御本尊ですね。

仏界、菩薩界、梵天、帝釈等の善の生命は唱題によってその輝きを増し、どんどん威光勢力を広げていく。

我々の生命には仏界という大不思議の生命が冥伏している。この生命の力および状態は想像もおよばなければ、筆舌にも尽くせない。

しかも、こうして、いったん目覚めた仏性は、必ず次第に力を得て成長し、ついには、魔の力を打ち破って、その人を妙法に帰依させずにはおかないのである。

目には見えない「一念」と「行動」が、長い間には必ず目に見える結果となって現れてくる。長い目で見れば、その人の真実は、自然のうちに明らかになっていく。

諸仏が長い時間をかけて、何度も生まれ変わって修行して得た功徳を、私達は瞬時にしてあますことなく得ることができる。

会合の前に題目。指導の直前に題目。そして家に帰って、また題目を上げるんです。命が変わらないわけがない。一番わかっているはずです。これしか戦いはない。

題目が不足していれば、一切は空転してしまいます。いたずらに気が焦るだけで、思うように事は運びません。

我々の体をつくってる原子も、かっては、どこかの星として輝いていたのかも知れない。我が生命は「宇宙の大生命」と一体。

それが、題目の妙薬は自分の家に座っていて、すむのだ。しかも、いるのはロウソク代と線香代だけだ。資本としては一番安いほうだよ。

先祖も子孫も一族も皆、目には見えないが厳然と光輝く「幸福の軌道」に乗せていける。まさに不思議の法である。

千里の道も一歩よりで、刹那成道、即身成仏の瞬間瞬間の積み重ねによって、汝自身の生涯を貫く基調として仏界を確立しきっていくことが、一生成仏という原理になる、

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