本日の御書

本日の御書 夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、

スポンサーリンク

【御書本文】
夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ(三三蔵祈雨事p1468 n1940)

【通解】
木を植える場合には、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ、倒れない。少々強い者であっても、独りであれば、悪い道では倒れてしまう

【先生の指導から】
「善知識」とは、仏道修行を進ませ、成仏の道へと導いてくれる人のことである。
今の御文で大聖人が仰せのごとく、弱い木であっても、強い支柱があれば大風にも倒れない。弱々しい人であっても助ける人が強ければ倒れることはない。しかし、少々強そうにみえても、何の支えもなく独りであれば、悪い道では倒れてしまうことがある。
信心にあっても、また同じである。あくまで御本尊が根本であり、正しき信心を貫いていくことの大切さはいうまでもない。しかし、そのうえで、信心を教え、導いてくれる人を誤ったり、失ってしまうと成仏への大道をきちんと歩みゆくことが難しくなる。いわば「善知識」は信行完成への支柱である。ゆえに、どのような人を「善知識」としてもつかが信心では最も肝要となる。その意味で、信心を教え、広布の道をともどもに進んでいる学会の存在は実に大きいことを、よくよく知っていただきたい。