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行き詰まりとは、より以上、広々と自分の境涯と福運を開いていける山の頂上を前にしたようなものだ。

「絶対に叶わないわけがない」と確信を奮い起こしていけばいく程その信力の強さに御本尊が応えてくださるのです。

我が身が「永遠の仏」と一体である。仏とは、この我が生命のことである─この大確信があれば、断じて行き詰まりはありません。

戸田先生は、信心している以上、目の輝き、顔色もよく、なんともいえない風格と深い魅力がなければ、ほんとうに信心をしている姿とはいえない。とまで厳しく言っておられた。

「組織を強くするといっても、実質的には「一人一人の信心を強くする」以外にない。

広宣流布とは、一面、変化との戦いである。思いもよらぬ事態に直面することも当然である。

御本尊様には、無限の仏力、法力が備わっています。その大功徳を引き出していくのが、大聖人の仰せ通りの信心と実践、つまり、信力、行力なんです。

ところが、唱題に励んでいても、「こんな大きな願いは、叶いっこないだろう」などと、御本尊の力を疑っている人がよくおります。

南無妙法蓮華経とは、生命を変化させる大元である。われわれが南無妙法蓮華経と唱えることは、その変化させる大元を、自分の生命の中に取り入れることになるのである。

大願に生きることによって、他のすべての願いが叶うのです。

死後、未来の生命は長い。ゆえに、生まれてから、ほんのわずかの間、いい家に住んだから等といって、どういうこともない。

あなた方は恐れてはならない。 いよいよ強く進んでいくならば、必ず何らかの結果が現れるであろう。

思いやりの根本は、祈りです。人間は、自分の幸福を祈り、念じてくれている人には、必ず心も開くし、好感をもつものです。

仏法は道理です。智慧をはたらかせ、知識を応用し、1日、1週間、1ヶ月の目的完遂に、完璧な方針を打ち立てねばなりません。

「臨終」のさいの「一念」が、どこを向いているかで、宇宙の何界に溶け込んでいくかが大きく左右されてしまう。

人生の劇にどんな波乱があろうとも、最後は必ず勝つ。皆を勝たせて、“自他共にハッピーエンディング”を飾る。

師の意図が、脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとる時、初めて師弟不二の道を、かろうじて全うすることができる。

人事で交代があっても、驚かず恐れない。 学会の人事でいえば、これまでの自分の役職に後輩が就く場合などが考えられよう。

教学こそ、危険千万な人生の荒海を渡るための羅針盤の大哲学なのである。

戸田先生は、要点を忘れて枝葉の論議に走る教学を戒められ、四条金吾を例にあげて、こう語られた。

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