


「ありがとう」を言う時、聞く時、人は心のよろいを脱ぎ捨てる。人と人が深いところで通い合える。 「ありがとう」が非暴力の真髄なのである。

学会員に尽くし抜いていく。それが私との共戦です。 長い人生には、失敗も、挫折もあるかもしれない。しかし、それでも前へ進むんです。いちばん大事なことは、何があろうが、生涯、学会から離れず、同志のため、広布のために、献身していくことです。

大事なことは、「学ぼう」という信心です。その求道心さえあれば人間革命が進む。 戸田先生は、よく言われていた。「わかる」ことより「かわる」ことだと。

「わが職業に歓喜を覚えぬような者は、信心に歓喜なき者と同様であって、いかに題目を唱えようとも、社会人として成功はあり得ようがない」

すなわち、八万宝蔵、さらには一切法といっても、それらは全て御本尊の説明であり、せんじつめれば、一切法は御本尊に帰着することを知っていただきたい。

本日の御書 夫れ以んみれば末法流布の時生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり(如説修行抄p501)

本日の御書 疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者」等云云(法華取要抄p334)

聖教新聞の使命は極めて大きい。学会にあっては、信心の教科書であり、同志と同志の心をつなぐ絆になっていかなくてはならない。

「聖教」は、私の生命であり、 創価学会の生命であり、 仏法厳護の生命であり、 広宣流布の生命である。

幹部になったからといって、その人の信心も完璧になったとはいえない。役職は一方便ともいえる。信心は一生涯のものである。
