


いかに観念的に、仏法を理解しようとしても、仏法の神髄が、決して会得できるものではない。題目を唱え、逆境を切り開き、力強い人生を歩むとき、生活、生命の上に厳然と功徳が湧き、証得できるのである。

つまり、「死」は一面からみれば、人間が今世における一切の虚飾をはぎとられて、裸のままの「生命」それ自体が持つ真実の「力」で立ち向かわざるを得ない難関である。

「進まざるは退転」です。特に、組織の上のほうが成長を止めたら、こんな不幸はない。皆が、かわいそうです。

「臆病な人間にとっては一切が不可能である。なぜなら、彼には一切が不可能に見えるからだ」「不可能だ」「ダメだ」という一念が、本当に何もかもを「不可能」にするのである。

私達の生命は、無始以来永遠に続いている当体であり、その生命の奥底に仏界という最も正常な力強い尊厳なる大生命力が内包されてる。

「なにか困ると、梵天、帝釈が働くのです。向こうからきて助けるのではなく、こっち(己心)にあるところの梵天、帝釈が働きだすのです。

悲観的な考えや一念は、その通りに現実のうえに展開して、実際にマイナスの結果を引き寄せてしまう。 マイナス思考の人は、自分が考えた通りに結果を自分で生み出しているとさえ言えるでしょう。

結果を目指して奮闘している、その本因の姿にこそ、「幸福」は躍動しているのである。
