


「一切の生活は信じて行い、行ってはじめてその価値を知るのである。一杯の水も、信じるがゆえに飲めるのであって、自分で分析して研究してからとなると、容易に飲めるものではない」

御本尊になかなか境智冥合しきれない生命の弱さ、信の弱さを嘆く人がいるが、たえず、そのように反省し、勤行の姿勢を正していこうと、

「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることで、自分の中から、仏界の生命が呼ばれて「はい!」と元気良く出てくるんだ。

「信心の素晴らしさ、 御本尊の偉大な功徳も教えないで、いくら号令しても人が動くはずがない」

十年、信心をしっかりやれば、その人の生命は、じつに清らかな生命となり、皮膚といい、目の様子といい、一つ一つの動作といい、みな、柔和な、清浄なものを、それでいて威厳のあるものを持つようになる。

会長講演といっても、めんどうな話は別にない。ただ、御本尊様を信じて拝め! それで終わり。私にはそれ以上教えることはありません。

「宇宙自体が生命そのもの」「生命とは宇宙とともに本有常住の存在」「寝ては起き、起きては寝るがごとく、生きては死に、死んでは生き、永久の生命を保持している」

大御本尊と一致の境涯の大根幹は、強力な信心であって、この信心によって、毎日の行は励まされてくるのである。
