
池田先生ご指導


いわんや信心の世界はもっと厳しい。謙虚な求道心を忘れ、自分を大した存在と思ったとたんに墜ちてしまう。幹部も地位を得た人も、皆そうである。

御書では随所に、苦難とは仏になるための試練であると示されている。ゆえに「まことの信心が今、試されているのだ」と立ち向かえば、断じて乗り越えられないわけがない。

…対話も、結論するに、御本尊への勤行・唱題に導くことにある。いくら明快な理論で論じても、また相手が納得したからといっても、それだけでは意味がない。あくまでもその目的は、その人が信心、勤行を深めていくための実践につながらなければならい。

十年、信心をしっかりやれば、その人の生命は、じつに清らかな生命となり、皮膚といい、目の様子といい、一つ一つの動作といい、みな、柔和な、清浄なものを、それでいて威厳のあるものを持つようになる。それが御本尊の功徳である。

教学は信心を深める。また、信心が進んでくれば、どうしても教学を要求する、その教学はかならず信心を深め、その信心は功徳を涌現していく。

つまり、自分が良く変わっていきつつあるか、悪く変わっていきつつあるか、さっぱり気がつかず平気でいる。これが惰性の恐さです。

〈名字の言〉 2018年5月1日 ある中学校の吹奏楽部の練習を見学したことがある。

唱題はあらゆる苦しみをすべて希望の前進へのエネルギーへと転じていく。わかってみれば、 悩みは、幸福に不可欠の糧でさえある。
