…ただし光り方は信心の厚薄による。電球と同じです。大きい電球は光るし、小さい電球はうすい。
さらにこの電球の例でいえば、信心しない者は電球が線につながっていないようなもので、我々は信心したから大御本尊様という電灯がついている。だから顔の色つやもよくなるのです。信心して青い顔している者は、信心したといっても本当にしていない。インチキなのです」「桜色にパッとしていなければならない。いくら年をとっていても青年のような顔色、そう思うと私もうれしい」
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SGIの「広宣流布の組織」から、決して離れないことである。離れた人で幸福になった人はいない。信心の「心」は見えない。無線の電波も見えない。しかし、テレビなどの電波は宇宙空間をも飛んで、つながっていく。アメリカの宇宙飛行センターとスペースシャトルとのやりとりなど、精妙にして見事である。しかし、電波の「発信機」がどんなに強力でも「受信機」のほうが故障していたり、スイッチを切っていては、つながらない。
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つまり、自分が良く変わっていきつつあるか、悪く変わっていきつつあるか、さっぱり気がつかず平気でいる。これが惰性の恐さです。信仰が惰性に陥ったとき、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして、良く変わっていくための実践活動です」
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信心は他人に「どう見えるか」ではない。自分自身が「どうあるか」「どう行動したか」である。目には見えない「一念」と「行動」が、長い間には必ず目に見える結果となって現れてくる。長い目で見れば、その人の真実は、自然のうちに明らかになっていく。裏表のない人が最後に勝っていく。
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地位が下であったり、後輩であっても、信心、実践にすぐれた人を尊敬せよ。
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大聖人は「水のごとく」と仰せである。私はこれまで四十年以上、信心し、さまざまな人生模様を見てきたが、水のごとく清らかに、たゆみなく進んだ人が勝利している。大聖人の仰せは絶対である。
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十年、二十年、学会のなかで信心を貫いていけば、やがて必ず、大樹となった福運が、はっきり目に見えるようになる。
「組織を強くするといっても、実質的には「一人一人の信心を強くする」以外にない。
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戸田先生は、信心している以上、目の輝き、顔色もよく、なんともいえない風格と深い魅力がなければ、ほんとうに信心をしている姿とはいえない。とまで厳しく言っておられた。
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たとえ八万法蔵が「わかった」としても、自分が人間革命しなければ、何にもならない。人間革命するための教学です。信心を強くするための教学です。少しずつでも、学び続ける「信心」があればいいのです。
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信心で戦った福徳は、子ども、あるいは孫など、一家一族に必ず現れる。
仏法は最高の薬だ。信心の功徳は、上一代の先祖、下一代の子孫にまでも及ぶ。