池田先生ご指導

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大御本尊に南無妙法蓮華経と唱えたときに、生命(わが存在)の奥底から、心を突き抜けて顕現してくる仏界の生命こそ、得体の知れない心を導き、コントロールしていく力となっていくのです。

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ただ、あとはわれわれの信力、行力である。大功徳をうけられる純粋な信心、強盛なる信心を一生涯しきっていただいきたい。

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折伏は、難事中の難事だと大聖人もいわれている。生命力を強くしてあせらず、撓まず、やらなければならない仏道修行なのだ。

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日蓮大聖人の仏法においては「成は開く義なり」で、自らの内なる仏界の生命を開き顕わすという意味になったのです。誰であれ、南無妙法蓮華経と唱えれば、この身このままで、仏界の生命を開き、宇宙生命の力用が体のすみずみまでみなぎるのです。

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つねに、「よしこれからだ!」「よし、変毒為薬しよう」といういわば本因の姿勢で決意することである。 今の結果を今までの結果だけに見るのではなく、

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大切なことは、信心の指導をするのであって現象面のみに目を奪われて、解決方法のみに終始してはならないということです。「体曲がれば影ななめなり」ですから、信心の姿勢をきちんと正していくことが肝心なのです。

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話したらみな素直に入信するなら広宣流布など苦もなく達成できてしまう。広宣流布が大変なのは、相手が仏法をなかなか理解できないところにあるといえましょう。

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否応なしに、死に近づきあるという現実に本当に気づけば。われわれの日常生活の一瞬一瞬が、この瞬間にベストをつくすという、今ここタイプの生き方にならざるをえないであろう。

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本当の幸福というものは、悪環境をすべて変毒為薬するという生命力のある絶対的幸福でなければなりません。

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仏界の涌現が、われわれのなかにある煩悩と汚辱にまみれた九界の生命とたたかい、これを止揚しつつ発現してくるのです。仏法にいう煩悩即菩提、生死即涅槃とはこのことを指していっているのです。

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