池田先生ご指導

折伏は、難事中の難事だと大聖人もいわれている。生命力を強くしてあせらず、撓まず、やらなければならない仏道修行なのだ。

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人間、この不可思議なるもの、つまり「生命」について、真面目な探求と懸命な解明を志すことがないならば、現代の人々の不幸は、破滅へと進むよりしかたがないだろう。人間の神秘な不可思議さは、過去に数々の宗教を生んだ。しかし、この探求と解明は、あまりの不思議さに、常軌を逸して、そのほとんどが迷路にはいってしまい、人間を惑わすものとなってしまった。しかし生命の法則についての究極の真理が一つあるならば。同じく、生命の解決法の宗教も一つあるはずである。人間の不可思議さの探求に先だって、現代の人々は宗教の浅深高低の識別から、その第一歩を踏み出す必要が急務となっちぇいるのである。ともあれ、現代人は傲慢さを捨て「生命」「人間」に関する探求に謙虚でなければならない。


折伏は、難事中の難事だと大聖人もいわれている。生命力を強くしてあせらず、撓まず、やらなければならない仏道修行なのだ。二、三か月で落胆するようでは、生涯にわたる信仰者の態度とはいえない。


人間の不可解な行動の爆発と、人類の生存をおびやかす諸悪が、ほかならぬ人間の内なる世界から発している認識をまえに、人間はみずからをもてあまし、嘆き悲しみ始めている。いまこそ、人間は、人間みずからを自分たちの手にしっかりと取り戻すために、人間の全体像把握の生命への旅へと進まなければならない。