
池田先生ご指導


大聖人様の仏法がなかなかわからないのは、邪教をやったり、御本尊様を誹謗したりしたから当体蓮華がなかな証得できない!真剣に行学の二道を励めば、いつか御書を読んでもピンとわかるようになる。今、我々はその途中でまごまごしているところです。

南無妙法蓮華経とは、生命を変化させる大元である。われわれが南無妙法蓮華経と唱えることは、その変化させる大元を、自分の生命の中に取り入れることになるのである。

大切なことは、苦難ある時に絶対にひるまぬことである。仏の慈悲と確信して、いよいよ強盛な信心で進こむことである。信仰しているのになぜなどと弱々しく疑ったとしたら、その弱き一念が一念三千の法理に則り、三千次元に回転して、ますます苦しみの境涯をつくっていく。

強力な南無妙法蓮華経のリズムに乗りますと、雑念が去る。しかし、そこまでのとらえ方はまだ浅かったと、それでなくって、大生命のリズムが

信心とは本来、最も楽しいもの! 親友と手を組んで旅行しゆくような胸はずむ日々となるのが歓喜の仏法! 窮屈な圧迫感に苦しんだりする必要はない!

妙法を縁としての行為の因果は、善につけ悪につけ、通途の次元の行為の因果とは比較にならないほど大きい。その最大の悪業である謗法の罪を消滅するには、最大の善業である正法の信受・弘通による以外にない。

「なすべきことを後回しにしたり、そのうちやろうなどと構えていたら、敗北を約束されたようなものです。明日を頼まず、明日なき人のごとく、全身全霊で今日を戦った。ゆえに学会にはスピードがあり、大発展したのです。

たんに現世のみでなく、自己自身の過去の謗法の罪が生命深く染みついていて、それが私たちの人生の幸・不幸を左右しているのである。
