一瞬の生命をとってみれば、やはり十界のうちのどれか一つにしかないのである。しかし生命が十界のうちのどれか一つの状態にあっても、その状態は固定化されてしまうのではなく、縁にふれれば、すぐにパッと他の状態に移行していくことを説き明かしているのである。
だが、バネが振動していても、いつかはある一定の場所に戻るように、一時的には十界のそれぞれ状態を涌現しても、結局は戻らざるをえない基盤をなしているともいうべき所がある。いわばその人の生活・人生の基調となっている生命状態である。それは人によって違うであろうが、その基調が地獄界ならば、その人は地獄界の衆生であり、それが天界ならば、その人は天界の衆生である。
一生成仏とは、仏界がその人の生命活動・生活・人生の基調となり、仏界があたかも生命の自宅のようになって、他の九界に遊戯し、人生を楽しみ切っていくという状態をさすのである。
御本尊へ合掌し、勤行・唱題する。その声は、すべて仏・菩薩、諸天善神のもとに届いている。
そして目には見えないが、全宇宙の仏・菩薩、諸天善神が、その人を守り囲んでいく。その真ん中に自分がいることになる。
東天に向かって、諸天善神の代表である大日天にあいさつし、諸天に法味を捧げる。
その後。御本尊に向かうと、全宇宙の諸天善神が一斉に御本尊に向かって合掌し、自分が願った通りに、諸天が動いていく。
題目をあげるということが、どれほど、すごいか。すべての仏・菩薩、諸天が味方になるのである。