たった一遍の題目にどれほど偉大な力が秘められているかたった一遍だけでも人々をして永遠の幸福の軌道へと向かわしめている。
歓喜の奔流!これこそ妙法を行じる私どもが味わえる人生の醍醐味である。この仏法の真髄から見れば、人がどうであろうと浅薄な世間の眼がクルクル変ろうと、すべては幻の如くはかない。またそれらに紛動されて、自らが歓喜を味わえるわけでも絶対ない。
我が胸中にはくめども尽きぬ永遠の歓喜の泉がある!
何ものにも崩されぬ、信心という大歓喜の源泉がある!
大聖人様の仏法がなかなかわからないのは、邪教をやったり、御本尊様を誹謗したりしたから当体蓮華がなかな証得できない!
真剣に行学の二道を励めば、いつか御書を読んでもピンとわかるようになる。今、我々はその途中でまごまごしているところです。心配いりません。
行学に励んでいくならば、必ず御書もスっきりとわかる時も来るのですから。
今、説明を聞いてすぐわかった気持ちになっても、まだ無明痴惑が残っているので本当にわかることはできないかも知れません。
目的が定まっているか否か。
目的への一念が、はっきりと定まっている人は強い。何があろうともすべてが成長への糧となる。
その人には動揺もなければグチもない。
ふざけや要領が自らの損失であることが明らかに見えてくる。
唱題、教学はすべて我が生命を福徳の花園に変えていくための労作業。