小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 二十 2018年4月18日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6350)

 軍部政府が強要する神札を公然と拒否することは、戦時中の思想統制下にあって、国家権力と対峙し、思想・信教の自由を貫くことである。それは、文字通り、命がけの人権闘争であった。事実、牧口常三郎は、逮捕翌年の一九四四年(昭和十九年)十一月十八日、秋霜の獄舎で生涯を終えている。
思想・信教の自由は、本来、人間に等しく与えられた権利であり、この人権を守り貫くことこそ、平和の基である。
万人に「仏」を見る仏法思想は、人権の根幹をなす。ゆえに、その仏法の実践者たる牧口は、人間を手段化する軍部政府との対決を余儀なくされていった。さらに、弟子の戸田城聖が、五七年(同三十二年)九月八日、人間の生存の権利を奪う核兵器を絶対悪とする、「原水爆禁止宣言」を発表したのも、仏法者としての必然的な帰結であった。
そもそも創価学会の運動の根底をなす日蓮仏法では、人間生命にこそ至高の価値を見いだし、国家を絶対視することはない。大聖人は、幕府の最高権力者を「わづかの小島のぬし(主)」(御書九一一ページ)と言われている。
また、「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(同二八七ページ)とも仰せである。王の支配する地に生まれたので、身は従えられているようでも、心を従えることはできないと断言されているのだ。この御文は、ユネスコが編纂した『語録 人間の権利』にも収録されている。
つまり、“人間は、国家や社会体制に隷属した存在ではない。人間の精神を権力の鉄鎖につなぐことなどできない”との御言葉である。まさに、国家を超えた普遍的な価値を、人間生命に置いた人権宣言にほかならない。
もちろん、国家の役割は大きい。国家への貢献も大切である。国の在り方のいかんが、国民の幸・不幸に、大きな影響を及ぼすからである。大事なことは、国家や一部の支配者のために国民がいるのではなく、国民のために国家があるということだ。