法悟空 内田健一郎 画 (6026)
法主・日達をはじめ、僧たちを送った山本伸一は、別室に入ると、妻の峯子に、和紙と硯、墨、筆を用意してもらった。創価学会の歴史に大きな足跡を刻むであろうこの日の、わが誓いと、弟子たちへの思いを、書として認めておきたかったのである。
既に揮毫の文字は決まっていた。
墨を含んだ太い筆が、かすれるような音を立てて、勢いよく白い紙の上を走った。
――「大山」
その下に、「わが友よ 嵐に不動の信心たれと祈りつつ」「五十四年五月三日 創大にて 式後記す也」と書いた。
伸一は、恩師・戸田城聖の事業が窮地に追い込まれた一九五〇年(昭和二十五年)の一月、「富士に祈る」と題する詩を作った。
詩の一節に、こうある。
「世紀の 貪婪なる火宅の中に
虚飾なく佇み 駁説に怖じぬ
われ 遥かなる富士を讃う」
その時、彼の心には、一身に降りかかる非難・中傷の嵐にも微動だにせず、広宣流布に生きようとする、恩師・戸田城聖の堂々たる雄姿と富士とが重なっていた。
「大山」の揮毫には、伸一の魂の叫びが込められていた。
“妙法は永遠不滅である。その妙法と共に、広宣流布に生き抜くわれらには、無限の希望がある。いかなる烈風にも、大山のごとく不動であらねばならない。何を恐れる必要があろうか! 学会は、日蓮大聖人の仰せ通りに死身弘法の実践を貫き、忍辱の鎧を着て進んできた。創価の師弟は、この不動の信心によって、すべてを勝ち抜いてきたのだ”
伸一は、さらに、筆を執った。
――「大桜」
そして、下に脇書として記した。
「わが友の功徳満開たれと祈りつつ」「五十四年五月三日 創大にて 合掌」
“どんな厳しい試練にさらされようが、仏法の因果は厳然である。胸に創価の「大桜」をいだいて進むのだ”――伸一は念願した。