本日の御書

本日の御書 法性の空に自在にとびゆく車をこそ大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候(大白牛車御消息p1584 n2050)

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【御書本文】
法性の空に自在にとびゆく車をこそ大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候(大白牛車御消息p1584 n2050)
【通解】
仏界の空に自在に飛びゆく車を、大白牛車というのである。私より後に来られる人々は、この車に乗せられて霊山浄土へおいでになることであろう。そのときは日蓮も同じ車に乗って、必ずお迎えに向かおう。
【先生の指導から】
ところで、飛行機でいちばん事故が多いのは「離陸」と「着陸」の時である。離陸の三分間、着陸の八分間をあわせて「危険な十一分」と呼ばれている。
人生でいえば「青少年期」と「総仕上げの時」にあたるといえよう
なかでも「着陸」の事故がいちばん多い。接地の場所を、きちんと決められており、そこにピタリと止めねばならないからむずかしいようだ。
人生も、総仕上げが大切である。どんなにこれまで完璧でも、着陸に失敗すれば悲劇である。なんにもならない。せっかく重ねてきた仏道修行も、最後に退いてしまったならば、一切が無意味である。火炎の苦しみのごとき境涯となってしまう。
最後が大事である。「広宣流布」と「一生成仏」の目的地まで、慎重に、油断なく、最後までみずみずしい「求道心」をもって進んでいただきたい。
ともあれ大聖人は「法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ」と。また「寂光の空にもかけりぬべし」等と仰せである。
「法性の空」「寂光の空」─この「永遠の幸福の大空」へ、「久遠の同志」とともに、自由自在に飛翔しゆく人生であっていただきたい。

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