池田先生ご指導

本日の御書 今年も十一月十一日安房の国東条の松原と申す大路にして、申酉の時数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人十人ばかりものの要にあふものはわづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとしうつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ二人は大事のてにて候、

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【御書本文】
今年も十一月十一日安房の国東条の松原と申す大路にして、申酉の時数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人十人ばかりものの要にあふものはわづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとしうつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけんうちもらされていままでいきてはべり(南条兵衛七郎殿御書p1498 n1830)
【通解】
今年も11月11日、安房国の東条の松原という大路で、申酉の時(夕方5時頃)、数百人の念仏者ら待ち伏せされていて、日蓮は唯一人、十人ばかり共にいたが、役に立つ者はわずか3、4人であった。射かけてくる矢は雨のようであった。打ち合う太刀は稲妻のようであった。弟子一人がその場で討ち取られ、二人は大怪我を負った。
私自身も斬られ、また打たれ、もはやこれまでというありさまであったが、どうしたことであろうか、討ちもらされて、今まで生きているのである。
【先生の指導から】
きょう11月11日は、文永元年(1264年)、大聖人が「小松原の法難」に遭われた日である。
740年前の、この日の夕刻。
安房の国、東条の郷の松原大路で、大聖人と10人ほどの弟子たちに対して、地頭の東条景信と、武装した暴徒たちが襲いかかった。
その数は御書に「数百人」と記されている。
「いるやはふるあめのごとし・うつたちはいなづまのごとし」という、すさまじい襲撃であった。
弟子の一人がその場で殺され、さらに二人が重傷を負った。
大聖人ご自身も斬りつけられ、「もはや、これまで」と仰せの状態であった。
左腕を骨折され、右の額に四寸の傷を負われたといわれている。
しかし大聖人は、法難のわずかーカ月後に、病気で苦しんでいる、南条時光の父を励ますために、長文の御手紙を送られたのである(南条兵衛七郎殿御書)。
同書のなかで大聖人は、この法難が、「猶多怨嫉 況滅度後」との法華経の経文に符合していることを示され、さらに、「日蓮は日本第一の法華経の行者なり」と高らかに宣言された。
広宣流布の途上において罵詈・罵倒される人が、仏になれるのである。
広布の戦に徹し抜く人は、永遠に福徳豊かで、健康な、仏と同じ生命で生きていくことができる。そのための信仰である。
いかなる迫害も恐れず、生きて、生き抜くための信仰である。
リーダーである皆さんは、大勢の人を励ましながら、勇敢に広布の指揮を執って、最高の幸福の道を生き抜く人生であっていただきたい。

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