池田先生ご指導

本日の御書 もし此の事まことになり候はばわが大事とおもはん人人のせいし候、又おほきなる難来るべし、その時すでに此の事かなうべきにやとおぼしめしていよいよ強盛なるべし(上野殿御返事p1512 n1843)

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【御書本文】
もし此の事まことになり候はばわが大事とおもはん人人のせいし候、又おほきなる難来るべし、その時すでに此の事かなうべきにやとおぼしめしていよいよ強盛なるべし(上野殿御返事p1512 n1843)
【通解】
もしこのことが本当になるならば、自身が大事と思う人々が信心を制止し、また大きな難が来る。そのときまさにこのことが叶うに違いないと確信して、いよいよ強盛に信心すべきである。
【先生の指導から】
十七歳といえば、今なら高校生の年代である。その時光に、大聖人は「大事とおもはん人」が信心を邪魔しに来ること、また、やがて大難が来るだろうことを述べられながら、「父子一体の成仏」の法理を示されている。
つまり、難が来た時、いよいよ強盛に信心に励めば、亡き父も成仏し、三世の福徳に輝いていく。むろん、それは父に限らない。母をはじめ、亡くなった親族も、すべてその通りとなる。ゆえに、障魔の嵐の時こそ、一家、一族の永遠の安穏、幸福を開いていく絶好のチャンスである。
反対に、難の時に逃げたり、憶病になったりすれば、自身の福運のみならず、亡き父、親族の福徳をも消してしまう。これほどに、仏法は峻厳である。

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