池田先生ご指導

本日の御書 是をもつて案ずるに大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか(撰時抄p265 n164)

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【御書本文】
是をもつて案ずるに大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか(撰時抄p265 n164)
【通解】
このようなことから考えてみれば、大集経の白法隠没の時に次いで、法華経の大白法が日本の国をはじめ全世界に広宣流布することも疑いのないことであろう。
【先生の指導から】
仏法を万人へ、そして万人を、一生成仏という最極の幸福境涯へ─これが、大聖人の御心であられる。
広宣流布の「流布」とは「大河のごとく流れ」「布のように布(し)き広げていく」という意味である。全人類に向かって流れ、布き広げていくということである。
これまでも、何度となく申し上げてきた通り、広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体である。
何か特別な終着点があるものではない。「こうなったら広宣流布」というのは、譬えでは言えるが、決まった形のことではない。
大聖人の仏法は「本因妙」の仏法であり、常に未来に広がっていく正法なのである。
末法万年尽未来際のための仏法である。
永遠に戦い続けることが、広宣流布に生きるということだ。

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