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信心をすれば、宿命に泣く人生を転換できる。
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「強い祈りが、教主釈尊を動かし、諸天善神を存分に働かせていくのである。猛然と祈り動けば、必ず、多くの人びとが諸天善神となって味方と変わる。これが、大仏法の原則だ」
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「思うようにいかない」「絶対に無理」――その時こそ信心を深めるチャンスだ。自分を悩ませる人や課題が、自分を鍛えてくれる。
戸田城聖先生は、大変であるほど悠然と語られた。
「行き詰まりを感じた時に、大信力、大行力を奮い起こして、断固と乗り越えていくことだ。これが、私たちの『発迹顕本』となる」
全てが仏になるための修行だ。皆で励まし合いながら、さあ師子王の心で、勇気の対話に打って出よう!
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60年前のきょう、参院選大阪地方区を舞台に、28歳の青年が「“まさか”が実現」を遂げた。当時の客観的条件を考えれば「奇跡」といえる勝利は、なぜ実現したのか。池田SGI会長が、妙法を根幹に、無名の庶民の懐に飛び込んで、“やればできる”という勇気を嵐のように呼び覚ましたからだ。
モハメド・アリの名言に「人間が困難に立ち向かう時、恐れを抱くのは信頼が欠如しているからだ。私は私自身を信じる」と。その言葉は、今、戦う全ての人の胸に、拳のように突き刺さる。
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いつからか涙がこみ上げると、駐車場の車に駆け込み、題目を唱えるようになった。すると「逃げたい」という嘆きが少しずつ、少しずつ、「負けとられん!」という叫びに変わる。
思えば、かつて一家心中を考えるほど苦悩に沈んだ時も、題目で乗り越えてきたのだ。「そうたい。信心は、何度でも『やり直せる力』と『勇気』を与えてくれるばい」
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“何もかもうまくいかん。もう逃げたい……でも……”
葛藤の連続だった。今まで支えてくれた人たちの顔が頭に浮かぶ。御本尊に向かうも、情けなさと悔しさが心を締め付け、祈ることも苦しかった。
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「大事なことは、苦しい時でも辛抱強く前を向けるかだ。今いる所で踏ん張れなきゃ、どこに行っても同じ。攻め抜けば、その先に必ず道は開ける」
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「ここぞという時に、“辛抱”できたからだと思います。当然、悩みや問題は消えない。でも、その現実から逃げずに、信心で“攻めの心”を燃やせば、必ず何かを勝ち取れる時が来るんです」
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「妙法で結ばれた故人の生命は、瞬時も離れず、わが胸奥に一体不二である。自分が朗々と唱えゆく題目が、そのまま故人を福徳で包みゆく力となる。自分が希望に燃えて前へ踏み出すことが、故人の未来を照らしゆく光となるのだ」
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