「陰徳陽報」の栄光を晴ればれと
池田大作
恩師・戸田城聖先生は、広宣流布に奮闘(ふんとう)した友を、会合の折々に御本尊の御前に招(まね)き、讃(たた)えられた。
そして、「私は何も差し上げられないが、日蓮大聖人がすごい御褒美(ごほうび)をくださるでしょうから、なんの心配もいたしません」と微笑まれるのが、常であった。幾(いく)たびとなく、胸を熱くした光景である。
激動のこの一年も、わが宝友は勇敢(ゆうかん)に、戦い切ってくれた。春夏秋冬の連続の中を皆で「」を願い労苦(ろうく)をいとわず、力を合わせて走り抜いた。
できることならば、日本中、世界中の尊(とうと)き創価家族の一人一人に最敬礼(さいけいれい)して賛嘆(さんたん)したい。そうした思いで、妻と題目を送りゆく日々である。
御聖訓には、「陰徳(いんとく)あれば陽報(ようほう)あり」(1178ページ)
「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」(1527ページ)と仰せになられている。
我らの誓願(せいがん)の行動は、全てが妙法と一体であり、御本仏とご一緒である。日天・月天をはじめ、十方世界、即ち全宇宙の仏天がご照覧(しょうらん)である。この一点を確信すれば、目先の毀誉褒貶(きよほうへん)など小さなことだ。
創価の世界は、無数の同志の信心に貫(つらぬ)かれている。 それは、毎朝、聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」の使命の力走から始まる崇高(すうこう)な「陰徳(いんとく)」のリレーといってもよい。その無量の「陽報(ようほう)」ゆえに、学会家族は大功徳の実証を示(しめ)しているのだ。
陰德の
労苦(ろうく)をいとわぬ
わが宝友(とも)に
幸(さち)の陽報(ようほう)
いやまし光れ
率先(そっせん)して動き、陰の苦労に徹(てっ)する生命は、自ずから神々(こうごう)しい輝きを放つ。皆の努力も明鏡(みょうきょう)のように映し出して、労い、感謝し、励ますことができる。
この真の大誠実の人材群を澎湃(ほうはい)と社会へ送り出していくのが、創価班・牙城会・白蓮グループをはじめとする青年部の薰陶(くんとう)である。学会活動という仏道修行の真髄(しんずい)で磨(みが)き上げた境涯(きょうがい)に勝(まさ)るものはない。
大聖人は、一人の女性の志(こころざし)を讃(たたえ)えて仰せである。
「法華経を信じまいらせし大善(だんぜん)は我が身仏(みほとけ)になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生(かみむりょうしょうしもむりょうしょ)の父母等存外に仏となり給う、乃至子息(ないししそく)・夫妻(ふさい)・所従(しょじゅう)・檀那(だんな)・無量の衆生(しゅじょう)・三悪道(さんあくどう)をはなるるのみならず皆初住(みなしょじゅう)・妙覚(みょうかく)の仏となりぬ」(1430ページ)
広布に尽くす「大善」は、自身と家族はもとより、縁を結ぶ眷属(けんぞく)も、さらには地域や国土の未来までも、幸福と平和へ照らしていける力があるのだ。
1975年1月、SGIの出発に当たり、私たちは誓い合った。「自分自身が花を咲かせようという気持ちではなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔(ま)いて、尊い一生を終わろう」と。
創価の師弟が、この究極の「陰徳」の心で蒔(ま)き続けてきた「平和の種」は、地球社会にいよいよ壮大な人華の花園を、幾重(いくえ)にも咲かせ広げている。
大聖人は、「此は物のはしなり大果報は又来(またきた)るベしとおぼしめせ」(1178ページ)と約束くださつている。
新たな一年も、陰徳陽報(いとくようほう)の栄光を晴ればれと!