希望の春へ勇気の劇を!
仏法は、最もけなげな庶民の味方である。
日蓮大聖人の御在世、長く看病を尽くした最愛の夫に先立たれ、まだ幼い娘を抱えながら、熱原の法難にも、いさぎよき信心で同志と進んだ母がいた。
大聖人は、「大風が草をなびかし、雷が人を驚かような激しく揺れ動く世の中にあって、あなたが今まで、信仰を貫き通されてきたことは、なんと不思議なことでしょうか」(1479ページ、通解)と讃えられた。また、亡き夫の生命は「生も歓喜、死も歓喜」に包まれ、後継の一家が必ずや幸福長寿に勝ち栄えていかれることをも、約束なされている。
広宣流布の誓願に生きる全世界の尊き創価家族よ、この御本仏の絶対の御照覧に浴しているのだ。
法華経に説かれる「現世安穏」とは、苦難のないことではない。どんな苦難にも負けない境地である。
御書に、「大難にあうことをもって『後生善処(未来の世に必ず幸せな処(ところ)に生まれてくる)』の成仏が決定する。これこそ、真に現世において安穏であることではないか」(825ページ、通解)と仰せである。
妙法流布のため、立正安国のため、使命を担い立つ人生に、試練は避けられない。覚悟の上である。
だからこそ、仏になれるのだ。何があろうとも、恐れず、嘆かず、惑わず、題目を唱え、立ち向かう勇気の一念から、大いなる境涯が開かれる。そこに、今世の幸福勝利はもちろん、三世永遠に崩れぬ金剛不壊の大生命を、自他共に築いていけるのだ。
永遠に
我らは希望の
太陽と
誇りも高く
未来を照らせや
創価の大地には「それでも耐えて、それでも勝つ」と、つかみとった体験が無数に輝いている。
草創期の宮城県、ある母は不自由な足で仏法対話に駆けずり回り、悪口を言われ、石を投げられても、「御書の通りだよ。ありがたいじゃないか。今に一番の幸せ者になろうね!」と笑顔ではね返した。
その息子として実証を示してきた壮年リーダーは、営む設備会社の一切合切を東日本大震災で流された。
だが、母から学んだ「負けじ魂」の信心で、直ちに復興の先頭に立ち上がった。青年と共に「不屈の生命力こそ仏法の真髄なり」と奮闘を続ける。
あえて困難に挑み、乗り越えゆく、たくましき地涌の群像は、世代を超えて受け継がれていくのだ。
60年前、わが師・戸田城聖先生は「原水爆禁止宣言」で、世界の民衆の生存の権利を厳然と謳い上げられた。それを脅かす魔性の闇は、いまだ深い。
ゆえに、人類の心を照らし晴らす生命尊厳の哲学の光を、我らはいやまして赫々と放っていくのだ。
あの地でも、この国でも、創価の宝友は、自らの宿命を転換しつつ、家庭を、地域を、社会を蘇生させゆく人間革命の挑戦を繰り広げている。その一つ一つの積み重ねが、やがて、かけがえのない民衆凱歌の大叙事詩となって仰がれていくに違いない。
障魔が競い起こるのは、正しいゆえであり、必ず勝てるということなのだ。この学会精神で、希望の春へ、今日も勇気の劇を綴りゆこうではないか!