大白蓮華巻頭言

大白蓮華  2017年(平成29年)5月号(No.811)

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若き君よ!仏法を試みよ

池田 大作

「池田君、何があっても、青春は『当たって砕(くだ)けろ』の勇気でいこぅよ!」
若き日、悪戦苦闘(あくせんくとう)の只中(ただなか)で、敬愛(けいあい)する先輩が声をかけてくれた励(はげ)ましが、今も胸に温かく蘇(よみがえ)る。

「青春の哲学」とは何か。それは、「思いきってやってみろ!」という一言(ひとこと)に要約(ようやく)される――。こう結論したのは、アメリカの教育思想家ボーンである。
「もし思いきってやりさえすれば、ひじょうに多くのことをなしうるのだ!」というのだ。

いつの世も、青年の前には分厚い壁(かべ)が立ちはだかる。特に現代は、若き心を萎縮(いしゅく)させる重圧(じゅうあつ)があろう。
その中で、挑戦の勇気を解(と)き放(はな)ち、思いきり青春桜を咲かせているのが、創価の誉(ほま)れの青年たちだ。

日蓮仏法は「太陽の仏法」である。それは青年の 旭日(きょくくじつ)の生命を最大に輝かせゆく哲理(てつり)といってよい。
大聖人は、大難の中、青年門下の南条時光(なんじょうときみつ)を鍛(きた)え育(はぐ)まれた。どんな圧迫があろうとも、「我が信心を試しているのか」(1540ページ、趣旨)と、うれしく思って、切り返し打ち返していくよう教えられている。

時光の重病の際(さい)は烈々(れつれつ)と病魔(びょうま)を叱咤(しった)され、「すこしも・をどろく事なかれ」(1587ページ)と激励(げきれい)なされた。

御書では随所(ずいしょ)に、苦難とは仏になるための試練であると示されている。ゆえに「まことの信心が今、試(ため)されているのだ」と立ち向かえば、断じて乗り越えられないわけがない。そして、その戦いによって、境涯(きょうがい)を開き、仏の命をより強く光らせていけるのだ。

妙法は
絶対勝利の
力なり
誓いの青春
勝ちて飾れや

師・戸田城聖先生は、よく言われた。
「信心も、平坦(へいたん)な道ばかりをゆっくり歩いていては、何も変わらない。大きな闘争(とうそう)があるからこそ、大きな成長があり、大きな勝利があるんだよ!・」と。

だからこそ、青年ならば、「広宣流布」「立正安国」の大闘争(だいとうそう)に勇(いさ)んで同志と共に身を投じていくのだ。
その地道(じみち)にして、粘(ねば)り強い実践にこそ、あらゆる労苦(ろうく)を突(つ)き抜(ぬ)けて、言い知れぬ生命の充実(じゅうじつ)がある。
自分が確実により良く変わり、人間革命しながら、存分に社会に貢献(こうけん)していく青春の喜びがある。
「僕も変われた。君も必ず変われる」「私も人間革命できた。貴女(あなた)も必ずできる」―そう自信を持って語りゆく青年の連帯(れんたい)が、世界をも変えるのだ。

学会は、靑年が先頭(せんとう)に立つゆえに、常に明るい。
もう40数年前になろうか。学会本部で行われていた首都圈のリーダーの協議会の会場に後方から入ると、最後列に、仕事をやりくりし、汗だくになって駆(か)けつけてきた青年たちがいた。私は労(ねぎなう)いを込め、そのまま皆に後ろを向いてもらい、青年を最前列にして懇談(こんだん)した、楽しき思い出がある。その後、青年も先輩も共に、全てに先駆(せんく)をとの心意気(こころいき)で、私と一緒に広布の拡大と勝利へ走ってくれた。

「撰時抄(せんじしょう)」には、「此(こ)の度(たび)仏法を心(こころ)みよ」(291ページ)と呼びかけられている。試(こころ)みて絶対に悔(く)いのない、正しき幸福と平和の大道がここにあるのだ。
若き君よ、共々に思いきり試みようではないか!