日蓮大聖人の御書全集は、立宗700年という大佳節(だいかせつ)(95年)に、創価の師弟の手で発刊された。
戸田城聖先生の喜びは、あまりにも大きかった。
御本仏の力が漲(みなぎ)る、この御書を拝(はい)すれば、必ず 「生老病死(しょうろうびょうし)」のか苦悩(くのう)を打開(だかい)していける。誰人(だれびと)たりと も、「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の境涯(きょうがい)へ到達(とうたつ)できるんだよと。
御書には、宇宙と社会と人間を貫(つらぬ)く生命の究極(きゅうきょく)の法理(ほうり)が明かされている。とともに、いかなる現実の試練(しれん)にも、希望と勇気の励ましを送られ、変毒医薬(へんどくいやく)へ具体的(ぐたいてき)な指南(しなん)をしてくださっているのだ。
御書の刊行(かんこう)より65星霜(せいそう)。私の誇りは、大聖人の仰せ」通り、幸福勝利の歓喜の舞(まい)を示しゆく多宝(たほう)の同志が、いずこにも輝いていることである。
座談会で、家庭訪問で、個人指導で、百戦錬磨(ひゃくせんれんま)の広布の父母(ちちはは)たちは、何と自在(じざい)に御文を語ることか。
心肝(しんかん)に染め上げてきた、その命からは、悩める友を蘇生(そせい)させる御金言の一節一節が溢(あふ)れ出てくる。
そこには、門下(もんか)を抱(だ)きかかえてくださる御本仏の お心が、実に生き生きと再現(さいげん)される。
仏勅(ぶっちょく)の学会と共に、御書そのままに戦い続けている「実践の教学」の底力(そこちから)が、ここにあると言えまいか。
「どんな時も、『此(こ)の事(こと)にあはん為(ため)なりけり』(1451ページ)や。恐(おそ)れるものなどありまへん。勇気が湧(わ)きまっせ!」とは、関西の錦宝会(きんぽうかい)の父の言葉である。
創価の無名にして偉大な哲人(てつじん)たちこそが、御書という希望の宝典(ほうてん)の光で、民衆を照(て)らしているのだ。
御聖訓(ごせいくん)
そのまま行(ぎょう)ずる かな
多宝かな
常楽我浄と
勇(いさ)み舞(ま)ゆけ
年齢を重(かさ)ね、多くの苦労が打ち続いていた弟子の報告を聞かれた大聖人は、仰せになられた。
「災難(さいなん)を払(はら)はん秘宝(ひほう)には法華経に過(す)ぎず たのもしきかな・たのもしきかな」(1017ページ )
そして、その上で、一切を「日蓮に任(まか)せ給(たま)へ」 (同ページ)と言い切られているのである。
何があろうとも、あなたには妙法があるではないか!私(大聖人)がついているではないか!
御書を開けば、その仰せが命(いのち)に迫(せま)ってくる。
たとえ、若い時のように自由に体は動かなくとも、 心は妙法と一体である。大聖人とご一緒(いっしょ)である。
「苦楽(くらく)ともに思(おも)い合(あわ)せて」(11431ページ) 題目を唱え、 全てを御本尊にお任(まか)せして、朗(ほが)らかに前進するのだ。
御聖訓には、「此の経を一文一句なりとも聴聞(ちょうもん)して神(たましい)にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるベし」(14483ページ)と約束(やくそく)なされている。
未曾有(みぞう)の高齢社会を迎えて、「生老病死」がますます人類の焦点(しょうてん)の課題となつていくに違いない。
御書に留(とど)められた「生命尊厳」の平和の大光が、 いよいよ地球を包(つつ)みゆく時代に入っている。
我らは、創価の大船に、さらに多くの友を誘(さそ)いながら、「常楽我浄」の大航海(だいこうかい)を進めよぅではないか!
その新たな出航(しゅっこう)の明るく賑(にぎ)やかな銅鑼(どら)を打ち鳴(な)ら すのが、教学部の任用試験(仏法入門)である。
「行学(ぎょうがく)の二道(にどう)」を励(はげ)み抜(ぬ)いた誉(ほま)れの多宝の先輩たちに続いて、御書とともに、皆が大勝利の人生を!