「さあ、勇敢に、楽しく戦おうじやないか!」
恩師は、大変であればあるほど、悠然と言い放たれた。 どんな断崖絶壁の苦境に追い込まれよう、一歩も退かないと決めた勇気ある信心で、必ず難局を切り開らける。
苦難の中でこそ、偉大な創造が成されるのだ。思えば、聖教新間の創刊も、最大の試練の渦中に構想された。
御本仏・日蓮大聖人は、「広宣流布」「立正安国」とは、法華経の行者と第六天の魔王とが、生死の苦悩の逆巻(さかま)く大海で、この娑婆世界を「とられじ・うばはんと・あらそう」(1224ページ)大法戦の舞台であると示されている。
一切衆生を魔軍から守り、不幸の流転から救い切っていくために、大聖人御自身が戦いを起こされて、「一度もしりぞく心なし」(同ページ)と仰せなのである。
この甚深の御書をいただいたのは、庶民の母である。度重なる大難に臆病な弟子らが退転しても、決して退かなかった健気な信心を、御本仏は「釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか」と讃えておられるのだ。
”あなたこそ、私と同じ不退の心の法華経の行者だよ”それは、学会家族への御賞讚と拝されてならない。
大聖人が開始なされた、人類の宿命を転換しゆく壮大なる平和と幸福の師弟共戦を、そのまま受け継いでいる地涌の陣列こそ、創価の父母たちであるからだ。
いかに障魔が競い起こり、いかに災難が打ち続こうとも、我らは「立正安国」の旗を断じて降ろさない。強敵が立ちはだかるほどに、誓願同心の民衆がいやまして団結し、底力を発揮して、一切を勝ち超えていくのだ。
広布の大闘争から、一人一人の「人間革命」の劇が生まれ、それぞれの地域の「三変土田」の歴史が創られる。
「御義口伝」には、「依報も正法も福運・智慧ともに無量であり、いわゆる南無妙法蓮華経とは福智の二法なのである」(792ページ、通解)と明かされている。
個人も社会も妙法の福智の光りで包みながら、幸と安穏の世界を広げゆこう! 創価には「しりぞく心なし」と。
久遠より
共に誓いし
この地にて
皆が笑顔の
勝利の旗ふれ