本日の御書

本日の御書 夫信心と申すは別にこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く子の母にはなれざるが如くに、

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【御書本文】
夫信心と申すは別にこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く子の母にはなれざるが如くに、法華経釈迦多宝十方の諸仏菩薩諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり(妙一尼御前御返事p1255 n1697)

【通解】
そもそも信心というのは特別なものではない。妻が夫を大切にするように、夫が妻のために命を捨てるように、また親が子を捨てないように、子が母から離れないように、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神等を信じて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを信心というのである。

【先生の指導から】
信心の極意は、難しいといえば、難しい。やさしいといえば、やさしい。要するに、どんな苦境でも御本尊を忘れず、求めることです。子どもが、”お母さーん”と求め抜くように、母親が子供を抱きしめるように。素直に、純真に仏を求めれば、胸中に崩れざる幸福の城が湧現する。反対に、疑い深く、生命に煙幕を張ってしまうような生き方であれば、その信仰は仏の大生命との感応を失ってしまう。