本日の御書

本日の御書 妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん(松野殿御返事p1388)

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【御書本文】
妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば我れ等も必ず其の数に列ならん(松野殿御返事p1388)

【通解】
妙覚の山に走り登って、頂上から四方を御覧なさい。法界は寂光土であり、瑠璃を以って大地とし、黄金の繩で涅槃にいたる八つの道を境とし、天からは曼荼羅華等の四種類の花がふり、虚空に妙なる音楽が聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の四徳の風にそよめいている。我らも、必ずその仏・菩薩の数の内に列なるでしょう。

【先生の指導から】
不幸な人を幸せにしていく─これが仏法である。妙法である。だからこそ、私たちは、あえて悩に沈む人々のいるところに、願って生まれてくるのである。
一人の人を根本から救う。これほど、すごいことはない。偉大なことはない。
そして、ともどもに「衆生所遊楽」─最高に幸福な人生を楽しんでいけるのである。
(中略)
三世にわたる永遠の幸福を築く道は、仏法しかない。信心を貫き、広宣流布のために戦いぬいた人が、偉大な幸福境涯を開くことは、絶対に間違いないのである。
そして、死という厳粛な事実に臨む時、その境涯は燦然と輝きを放つ。
生死は不二である。譬えるなら、人間が昼間は起きていて、夜に寝るようなものだ。
偉大な人生を生きた人は、安らかな、夕日が燃え輝くような荘厳な死を迎えることができるのである。