【御書本文】
功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり(御義口伝巻下p762)
【通解】
功徳とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)にそなわった煩悩が払い落とされて清らかになった姿です。結局、日蓮とその門下が南無妙法蓮華経と唱えれば六根清浄となるのです。したがって、妙法蓮華経の法を自行化他に行ずるところの師となって大きな功徳があるのです。
功徳の「功」とは幸いということです。また悪を滅することを「功」といい、善を生ずることを「徳」というのです。最高の功徳とは即身成仏であり、六根清浄なのです。
【先生の指導から】
悪と戦い、悪を打ち破ってこそ、自身の無明が消え、真の功徳が顕れる。大きく境涯を開いていける。とくにリーダーは、先陣をきって戦うことだ。
青年時代、私は学会や戸田先生へのデマの中傷は、絶対に許さなかった。庶民をいじめる横暴な権力とは、言論の剣で徹底して戦った。
戸田先生は、よく、おっしゃった。
「一番むずかしいところから始めよ。そうすれば、あとは、やさしい」
最も困難なところへ、「一歩」を踏み出す。苦手な分野に挑む。そこで突破口を開けば、さらに勢いも増す。「一番いやなところ」「一番大変なところ」に行くのが、本当の戦いである。仏道修行である。
私はいつも、「一番大変なところ」へ乗り込んだ。勇んで指揮を執り、断じて勝った。それが私の最高の誇りである。