本日の御書

本日の御書 若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ(富木殿御返事p978 n1352)

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【御書本文】
若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ(富木殿御返事p978 n1352)

【通解】
もし悩まし乱す者は頭が七つに破れ、供養する者は福徳が仏に供養するよりもまさる。

【先生の指導から】
皆さま方は末法の御本仏であられる日蓮大聖人の仏子である。そして大聖人の御遺命のままに折伏を行じ、広宣流布を成就しようとの、もっとも尊い人生を歩んでおられる地涌の同志である。その仏子を誹謗する人には仏罰ありとは、御書に照らして明らかである。その強き確信に立って、誇り高くすばらしき人生を悔いなく生きていただきたい。
御本尊の左右の御肩に「若悩乱者頭破七分」(若し悩乱せん者は頭七分に破れん)、「有供養者福過十号」(供養する有らん者は福十号に過ぐ)とおしたためである。
「頭破作七分」とは「心破作七分」ともいう。不信、誹謗の人は、割れた器のようなもので、福運も、幸せも漏れ、流れてしまう。一方、妙法を信受し、御本尊を讚嘆し供養する人は「福十号に過ぐ」と。十号とは、釈尊のそなえた十の尊称であり、この釈尊の命にそなわる偉大な功徳よりも、御本尊を信受する功徳がはるかに大きいとの仰せなのである。