本日の御書

本日の御書 外典の三墳五典には読む人かずをしらず、かれがごとくに世ををさめふれまう事千万が一つもかたしされば世のをさまる事も又かたし、法華経は紙付に音をあげてよめども彼の経文のごとくふれまう事かたく候か(転重軽受法門p1001)

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【御書本文】
外典の三墳五典には読む人かずをしらず、かれがごとくに世ををさめふれまう事千万が一つもかたしされば世のをさまる事も又かたし、法華経は紙付に音をあげてよめども彼の経文のごとくふれまう事かたく候か(転重軽受法門p1001)

【通解】
(仏教以外の教えである)外典の三墳五典を読む人は数知れない。しかし、そこに示されるように世を治め、振る舞うことは、千万が一つにもむずかしい。
そうであるから、世が治まることもまたむずかしい。法華経を紙に書いてあるままに声を上げて読んでも、その経文どおりに振る舞うことはむずかしいであろう。

【先生の指導から】
何より大切なのは現実の行動である。そして、末法がさらに進んだ現代において、法華経のとおり、この御書のとおりに難を受けてきたのは、創価学会であり、なかんずく三代にわたる会長である。
大聖人は、”国土に平和を築こう”という真情をつづられ、この御書を結んでおられる。
現実の国土・社会を、いかに変革し、平和と繁栄へと導いていくか。人々を、いかに幸福へ、安穏へ、希望へとリードしていくか─大聖人のお心は、つねにこの一点に注がれていた。わが学会は、このお心のままに、立正安国、広宣流布の大運動を推進しているのである。
また大聖人は、「当世は世みだれて民の力よわし」と嘆いておられる。
「民の力」が弱ければ、時代の危機を乗り越えることはできない。
仏法の人間主義の大哲理を根幹に、この「民の力」を限りなく強め、人類史の戦乱と不幸の流転を大転換しているのが、学会である。
反対に、この学会の前進に対する怨嫉に狂ったのが日顕一派である。法華経に説かれる「僣聖増