【御書本文】
人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし(上野殿御返事p1574 n1918)
【通解】
人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである。
仏に成りやすい道というのは特別なことではない。干ばつの時に喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与えるようにすることである。
【先生の指導から】
人々を指導する方式というものは、車輪の回転が重ければ、そこに油を注いであげよう、また重い船であっても水の上に乗せていけばいくらでも運んでいける、というようにしていくものであるということです。人を苦しませていく指導ではなくして「抜苦与楽」と経文にあるとおり、楽しみを与え、苦しみを抜いてあげることです。
“ああこんなに信心は楽しいものか” “組織活動はこんなにやりがいのあるものなのか” “信心即生活ということが御書の指導でよくわかった”というふうに、できるかぎり、悩める会員が”なるほど”と、安堵して信心即生活、広宣流布の方向に向かえるようにしてあげることが、真実の指導であります。
問題を複雑にさせてはならない。信心がいやになってしまうような指導ではいけません。「明快なる指導」でわかりやすく話をし、人を安心させ、喜ばせて、身も心も軽やかにさせていく、その方式の指導を忘れてはならない、ということであります。