池田先生ご指導

声を出して呼ばなくても、徳のある人の周囲には自然と人が慕いよってくる。 たとえ役職があり、立場が与えられていても、信用がなく、信頼の薄い人のもとに人はついていかない。それに引き換え、役職、立場がたとえなくとも、一人の人間として人望があり、信頼の厚い人の周りには、おのずと人々は慕いよってくるものである。

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御本尊を拝んで南無妙法蓮華経を唱えることによって、我が生命のなかにずっと御本尊様がしみわたってくる。
大御本尊の生命と我々の生命とがふれあう。
御本尊様が厳然とお出しあそばれていることがピリピリと胸に感じてくる。


我々が唱える題目の波動は百千万億光年の先までも及んでいく。


「声無くして人を呼ぶ」ということわざがある。
声を出して呼ばなくても、徳のある人の周囲には自然と人が慕いよってくる。
たとえ役職があり、立場が与えられていても、信用がなく、信頼の薄い人のもとに人はついていかない。それに引き換え、役職、立場がたとえなくとも、一人の人間として人望があり、信頼の厚い人の周りには、おのずと人々は慕いよってくるものである。
その人が実は、真に学会を守り、発展させている人といえよう。
信心といっても、遠いところにあるのではない。それがあらわれるのは、信仰者の最も身近な生活、日頃の振る舞いの上である。また、人格、人柄となっておのずから外面ににじみ出てくるものである。