池田先生ご指導

御本尊に題目を唱え、自己の生命が即南無妙法蓮華経であると悟れば、それはすでに仏界の境地に入っているわけであります、

生命の奥底の実態とは何か。これを大聖人は南無妙法蓮華経であると示され、御本尊として顕された。御本尊に題目を唱え、自己の生命が即南無妙法蓮華経であると悟れば、それはすでに仏界の境地に入っているわけであります、いいかえると刹那成道であり、九界の凡夫そのままで仏界を涌現するのでありますから、即身成仏になる。これが大聖人の仏法の極理であります。
しかし、ここで次の問題がでてくる。というのは、もし御本尊に題目を唱えることが成仏であるならば、一遍唱えれば仏で、目的を達したのだから、後は勤行も、題目を唱えることも必要ないのではないか。とだれしも考えていくのではないかと思う。残念ながらそうはいかない。
勤行、唱題を終えて、生活のなかに戻れば、再び生命は九界に帰るのであります。したがって、この意味での成仏とは題目を唱えているとき、刹那のことである。ただ、日々欠かさず勤行し、唱題を続けていくことによって、生命の奥底に仏界の生命が確固と樹立されていくのであります。
さらに、この勤行、唱題という仏界顕現の作業を繰り返し、生涯続けていくことによって、わが生命の仏界は、あたかも双葉から大樹に育つように、堅忍不抜の存在となっていくのであります。これがまた道理であります。

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