池田先生ご指導

人間の完成は、物心両面にわたるもので、生命の奥底の「九識心王真如の都」での完成が、最極の完成となる。 そこにたどり着くための仏道修行の完遂、広宣流布への不借の実践の完成、みずからの使命の満足の完結ーーそれらをやりとげることじたいが、人間としての最極の人格の完成となっていくことを忘れてはならない。

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人間の完成は、物心両面にわたるもので、生命の奥底の「九識心王真如の都」での完成が、最極の完成となる。
そこにたどり着くための仏道修行の完遂、広宣流布への不借の実践の完成、みずからの使命の満足の完結ーーそれらをやりとげることじたいが、人間としての最極の人格の完成となっていくことを忘れてはならない。
その完成への本源の法が「南無妙法蓮華経の法」である。
「煩悩即菩提」、また、煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱と転じゆく「三毒即三徳」という法理にもとづいて、それなりの自己完成となる。
ゆえに、すべてにわたってのわが人生の終極まで妙法を唱えきっていくことが、一身一念の生命の完結となっていくことを忘れてはならない。そこにこそ、正法の真髄があることをわすれてはならない。