“勝ち”と”負け”がある。その意味で、〝強い”ことと〝勝利”とは人生の生きがいであり、要件といってよい。
現実の社会は、悲しむべきことながら弱肉強食の様相を強めている。そのなかでは絶対に〝強く”なくてはならない。”弱い”ことは敗残者となってしまう。会社でも団体でも、 一家でも、また各人にあっても、強いものを築きあげることだ。ある意味で、財力も強さである。健康も強さである。
だが、財産があるゆえに不幸になった人も多い。また健康であるがゆえに山登りに行き、遭難することもある。こうした次元の強さが、すべて幸福につながるとはいえないし、何が幸・不幸となるかわからない。
結論していえば、永遠不壊の強さ、幸福とは「信心」なのである。”信心の強さ”には、 いかなるものも勝てない。また、真実の確かなる幸福境涯も、”信心の強さ”以外には築くことができない。ゆえに、日蓮大聖人は御書の中で〝信心を強く”と繰り返し仰せなのである。
折々のスピーチから