結局、担当者と指導を受けにきた人との生命の感応である。
ベテランでも、こちらに生命の躍動がないと、相手に生命の波動を与えられない。話しは立派でも、ドンと相手の生命を打って「そうだ」という共鳴を呼ばないと指導は通じない。
御本尊の功徳は絶対だという信心の切れ味の良さ、御本尊に対する確信、魔を打ち破っていく切れ味。相手の生命のなかに魔が食い込んで、みな魔に食いつぶされているような格好でくるのだから、これを打ち破らなくては信心が開けない。
常にみずみずしい信心の息吹で、躍動した生命で、この二時間、三時間、大変な疲れにもなるが、一人一人の生命を変えるのだから並大抵の労苦ではないけれども、それが御本尊につながり、自分自身の仏道修行の場にもなるのである。
皆さんの担当した指導の結果は、厳然として信心の功徳の証拠となり、一人一人の上に出てくることを確信していただきたい。