タテに、根を久遠の生命まで下ろし、ヨコに、法界に徹した「本因」です。それが「南無妙法蓮華経」です。

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今が「久遠元初」なのです。今が「始まり」なのです。
過去は、もうない。未来も、まだない。あるのは、この現在という瞬間だけです。その現在も、あっという間に過去になっていく。有ると言えば有るし、無いと言えば無い。空です。空の状態で、生命は瞬間瞬間、連続していく。「瞬間」以外に、生命の実在はない。瞬間に幸福を惑じたり、不幸を惑じたりしているのです。
この瞬間の生命を、過去からの因果の「結果」と見たら「本果妙」の考え方になる。ああなって、こうなったから、今、こうなんだ、と。しかし、それだけでは「希望」は生まれない。この瞬間の生命を、未来の結果をつくる「原因」と見るのです。その原因も、生命の奥底に達した「本因」です。表相の原因ではない。

タテに、根を久遠の生命まで下ろし、ヨコに、法界に徹した「本因」です。それが「南無妙法蓮華経」です。宇宙の一切を動かし、生々発展させている「永遠の大生命」であり、大法則です。ゆえに、御本尊を信じ、妙法を唱え、行ずるとき、その時はいつも「久遠元初」なのです。
久遠の清らかな、「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」の大生命力がわいてくる。現在も未来も、自由自在になっていく。日蓮仏法は「希望の仏法」なのです。
法華経の文底に、この御本尊がしまわれているから、法華経は尊いのです。その一点を忘れたら、何にもならない。