池田先生ご指導

いつの時代、いかなる世界であれ、六破羅蜜を修め、観心の修行をこらしていった果てに到達するのは、南無妙法蓮華経という不思議の一法の悟りにほかならない。

菩提樹下に瞑想している現在の刹那の自分が、実は過去久遠から生じては滅してはまた生まれるという、その不滅の連続であったことを、ありありと思い出したにちがいない。
輪廻転生の場面は、地球上における四百万年の人類史をはるかに超えている。他の恒星系、銀河、銀河集団から宇宙次元にまで拡大され、ついに釈尊は、成住壊空を繰り返す無始無終の宇宙とともに流転をつづける自他の生命の「我」をとらえたのである。
久遠永劫の過去から、悠久なる未来へとダイナミックに流転する大宇宙--その創造の生命場を舞台に衆生が誕生し、苦楽の生を享受しつつ、再び、根源なる宇宙へと帰還する。


煩悩に右往左往して苦しんでいる衆生に、仏の世界の尊さを教えることは容易ではない。まして、その煩悩が本来、菩提と同じ心法の作用であることを理解させるのは、もっと困難なことである。


「吾人をもって会通を加えしむれば受持即観心の観心とは、ある対象を絶対なりと信ずればその対象の持つ力がその人の生命生活に現れるということである。」


いつの時代、いかなる世界であれ、六破羅蜜を修め、観心の修行をこらしていった果てに到達するのは、南無妙法蓮華経という不思議の一法の悟りにほかならない。
我が生命を観照して得るものは、我が生命が妙法の当体であるという悟達なのである。その故に、妙法の五字に因行・果徳がそなわるのである。

  1. ハナワ より:

    男子部の部長を、適当に任命するとその組織は、将来請われてしまい大変な事に、なってしまいました。どうしたら良いのかわからないです。

Translate »