広宣流布の「大黒柱」である壮年への、同志の期待はあまりにも大きい。
それゆえに、慈愛の心強き、「広布の母」たちは言う。
ある婦人曰く。「なぜ壮年は、なかなかやる気を出さないのですか」。
やる気はある。それを表現しないだけである。「忠臣蔵」の討ち入りのごとく、最後に皆をあっと言わせようと思っているからだ。
ある婦人の曰く。「どうして壮年は、腰が重いんでしょう」。
やる気はある。それを表現しないだけである。「忠臣蔵」の討ち入りのごとく、最後に皆をあっと言わせようと思っているからだ。
また、ある婦人の曰く。「どうして壮年は、腰が重いんでしょう」。
慎重なのである。無駄な動きをせぬよう、機が熟すのを待っているのだ。
さらに、ある婦人の曰く。
「なんで壮年は、憶病なんでしょう。言うべきことも言わないで」
憶病ではない。思慮深いのである。相手を思いやり、饒舌にならぬよう、言葉を選んでいるのだ。
私も壮年部である。わが親愛なる壮年同志の気持ちは、私には痛いほどよくわかる。