池田先生ご指導

業の泥の堆積によって、妙法という無垢の黄金の生命はすっかりおおわれ、かくれて見えないが、奥底に実在していることは変わりない。

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日蓮大聖人の仏法は円教である。ゆえに、その御本尊を信じ行じゆく者にとって、すべてがむだなく生かされていくのである。勤行も、折伏も、また指導もいっさいの日々の行動も、すべて自分自身の永遠にわたる功徳に変わっていくのである。それを確信できるかどうかが、信心の重要な一点でもあるのだ。
ともあれ、信心の世界は、自分が苦労して行動した分だけ、自分自身の財宝と変わる。また懸命に動いた分だけ、諸天善神が動いて守護してくれ、人生の安全地帯の拡大ができる。これが厳しき因果律の大聖人の仏法なのである。


無始の過去からもっている根本的なその生命が「南無妙法蓮華経」である。身につけた人生の泥の集積が無始以来の宿業である。業の泥の堆積によって、妙法という無垢の黄金の生命はすっかりおおわれ、かくれて見えないが、奥底に実在していることは変わりない。しかも、黄金がどんなに泥や土の中に混じっても、錆びたり侵されたりしないように、「本有常住」なのである。