池田先生ご指導

信心の極地は、生きていることそれ自体が楽しいのである。みんなも、早くそうならねばならぬ。折伏するのもあたりまえ、そのような境地にくれば、信心の極意に達している。

信心の極地は、生きていることそれ自体が楽しいのである。みんなも、早くそうならねばならぬ。折伏するのもあたりまえ、そのような境地にくれば、信心の極意に達している。反対に、おつとめが苦しい、おつとめの時間が長い。折伏が苦しいと思うものには、御本尊様の功徳が泉のように出てこない。


二十年信心をつづけていった暁に、よかったと思う人と、みすぼらしい姿をつづける人が出よう。しっかり信心したほうがいいのです。その女の人は退転して、そのまま姿を消してしまえばよいものを、かならずわざわざ折伏した人の目の前に、こうなりましたと、そのみずぼらしい姿を見せに出てくる。
初代会長は、学会はモルモットではなく人間で、実際に試験をしているのだからたいしたものだといわれたが、信心をやめれば貧乏になるし、また反対に、信心したものは、功徳で、一家はじょうで、月一回ぐらいは温泉へ遊びに行ったり、映画を見たりできるようになり、楽々とした生活になれる。それは、二十年後に起こる。一人ひとりの生涯の問題なのであります。がっちりとした信心をしてください。


御本尊は絶対である。あとは、その御本尊に正信の信心ができるか、邪信であるか、狂信であるか、偏信であるかということになる。
したがって、正しい指導によって、正しい信心ができうるように、常に指導部の方々の変わらぬ尽力がさらに必要となってくる。
我々の指導は、大御本尊に正しい信心ができるように、指さし導いていくことがその根本であり、目的であることを銘記されたい。

 

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