題目が一切の原動力です。私も、戸田先生とよく一緒に唱題をさせていただいた。学会本部でも、先生の御自宅でも、地方の拠点でも。一回一回が宝でした。
先生の事業が一番、大変な時も、「生命力が弱っていては戦(いくさ)はできないぞ」と厳しく叱咤されて、弟子のために導師をして、祈ってくださった。
「御義口伝」には「師子吼」の意義について『師弟共に唱うる所の音声なり』とあります。先生と唱える題目は、まさに宇宙をも揺さぶるような「師子吼」でした。勝ち戦への轟きです。
ともあれ、「祈り」は宗教の根源です。祈りは人間にしかできない崇高な行為です。
何を、どう、祈っているのか。祈りにその人の一念が如実に現れる。私たちの祈りは、いわば、大宇宙と人間生命の小宇宙との深遠なる交流の儀式です。南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く根本の大法則だからです。
私は、幼い頃体が弱く、口も曲がって真っ直ぐ歩くことすらできなかった。仇は酔っぱらいと浸けられ、小学校三年生の時から聖教新聞の配達と題目を、挑戦して題目を挙げきり、現在は自動車の免許を、収得し、会社にも入社し、病気も現在までにしない体に成りました。大変辛かったですがご本尊様のお陰だと思っています。信心で体が治ったのです。